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2012年12月20日木曜日

「良き年を」




今年最後のブログです。

何が起きるか一寸先が見えない時代です。
どうか年の瀬を無事乗り切り良き年を迎えて下さい。

新年は10日頃から更新するつもりです。
365日は短い様で実に長く。
何事もあきらめたら実につまらなく。
決してあきらめずに前へ進めば、実に楽しいはずです。

ヘビ年はもっとヘビーかもしれませんが、長い物に巻かれないぞの根性で行けば、それもまた楽しいです。

2012年12月19日水曜日

「釣り堀のフナ」




漢の高祖劉邦は街の遊び人の様であったらしい。
日がなゴロゴロしていた。
このオッサンしかし魅力的でいい人間が周りにいた。
一方ライバル楚の項羽は何から何まで自らが指揮し先頭に立って行動した。

囲碁の世界に“着眼大局、着手小局”という言葉がある。
はじめに大局観を持って構想を練り、その後着実に手を進める。
指揮官が馬上に乗って先陣を切り戦って天下を取った人間は歴史上ない。

天才ナポレオンも織田信長も結局悲惨な最期となった。
徳川家康は何故天下人になったかといえば、臆病で戦がへた、その上ケチンボであった。三河武士が何故団結力があって人材豊富で強かったのかは大将を当てにしていたら自分たちは生き残れない、だから必死に戦ったという。

劉邦は女性好きであり誰でもよかった。それ故出費は少ないし嫉妬もされない。
項羽には虞美人草といわれた絶品の妻がいた。それ故出費は湯水の如くであった。
秀吉は美人好みの超面食いであったので結局それで滅びた。
家康は不美人好み、女性に身を滅ぼす事なく長生きした。
着眼は自分で、着手はそれぞれの人材へまかす。

私は予言する、安倍晋三は麻生太郎によって滅ぼされ、山盛りのストレスを抱え込み、また途中で倒れるだろう。
アレコレ、コマゴマ麻生太郎が口を出してオイラが大将となっている様だ。
周りには釣り堀のフナの様なスレた人間ばかり。

この先、二手、三手と先を読んだ人間がいずれ勝つ。
それは大臣になれといってもいやいや私などは未だ役不足、勉強不足、しばらく下の下で働かせてもらい国中を歩いてみます。こういう人間だ。
囲碁は黒と白の陣地取り合戦。これからは将棋の様に駒の性格を見抜き使い込んで一手一手慎重に攻める者が勝つ。

アクセク、アクセス動き回る安倍晋三からマイナスオーラが出まくっていた。
側近たちはみんな釣り堀のフナの群れどこか暗い、不気味、歪んでいるスレたズルイ顔ばかりだ。この国は右へ右へと傾いて行く。その先にあるのは誰にでも分かる戦争だ。
元総理大臣同士で軍は指揮官だらけでバラバラとなる。
隙だらけの軍で内部崩壊は必死だ。



2012年12月18日火曜日

「万歳とおでん」




熱狂と絶叫、土下座とお願い、涙と鼻水、豪雪の中白いまつ毛、北から南選挙戦は一党圧勝に終わった。

小選挙区比例代表並立制という分かりにくい方法が生むマジックである。
政治家は常在戦場という言葉を日々心にしている。常に戦場なのだ。

“過ぎたるは及ばざるが如し”という。
大惨敗した元政権党は、いきなり宝くじに当たった人々がやがて不幸を呼び、その身を失うというケースが多い様に実にそうなったといえる。

“成功の下、久しく居るべからず”ともいう。
俺はあるいは私は遂に成功したと思い日々の精進を忘れた瞬間からその身を失いはじめる。

今回大勝した政党も直ぐに大量の恩賞を求める昔の名前で出て来た元実力者の扱いに苦悩する。人事と論功行償は全ての人間を満足させない。座るポストの数には限りがある。
直ぐに不平不満の群れができて再び派閥政治となる。 

645年大化の改心以来政治とは戦いの歴史なのだ。
人は等しく狼であるという。権力を握った人間は直ぐその狼たちに付け狙われる。

幸い私がお手伝いした方は二人共当選された。一人は大勝利の側であり、きっとこの国を背負ってくれる方と思う。もう一人は大敗北の側であるが若き俊英でありきっと敗北した党の中でも光を放ち出すだろう。

漫画家のやくみつるが今回の選挙は12個に仕切られた“おでん”の様であったという。
政党と政策というおでんのネタが同じ出汁の中に入っていて何から食べようか迷ってしまった。確かそんな論評であった。
私的に付け加えれば10人のお客の内4人以上が結局何も食べず店から出て行ってしまった。

東日本大震災の復興という大問題を抱えていた選挙であったが、投票率は戦後最低であった。これは実に大問題といえる。候補者たちが戦後最低だったとは思いたくない。


それにしても選挙とは過酷なプレゼンテーションだ。
敗れ去った人々にメリークリスマスもない。あけましておめでとうもない。
あるのは敗北感と疲労感と選挙七つ道具と多くの借金などである。
常在戦場すでに次への戦いは始まっている。

若者よもっと政治家を目指しこの国をまっすぐにしてほしい。
幼き子たちの未来のために。
敗者だけに許されるものがある、それは次は勝者になる事ができるのだ。
山田洋次監督がこんな事を書いていた。この国から「普通の家族」がなくなってしまったと。勝者よ万歳に浮かれていてはいけない。万歳は別名「お手上げ」ともいう。

2012年12月14日金曜日

「ひもかわ」




街を歩いていると明らかにプラスオーラを発している人と、その逆にマイナスオーラをしっかり溜め込んでいる人がいる。

当然プラスオーラの人の後について歩くが、マイナスオーラの人が近づいてくると早足から急ぎ足となりやがて小走りになってしまう。

プラスオーラの人が本屋さんに入るとどんな本を読んでいるか気になる。京風のうどん店に入ったので何を食べるか知りたくなった。

オーダーしたのは平べったいひもかわであった。
なかなか薄味でお上品であった。
ハラハラとまぶされた鰹節が汁にしみ込んで風情があった。
紅白のてまりの様なお麩を口の中で転がして楽しんだ。
みたらし団子の二本目の二個を食べていた。

ダンダダーンと人が階段からすべる音がした。
なんとプラスオーラを発していた中年ロマンスグレーではないか。
 お客さん大丈夫ですかと女性店員二人と支配人らしき男。
プラスオーラは目からうっすら涙を流し鼻から赤い血が見えていた。
右手にしっかりお土産の“きんつば”を入れた袋を握っていた。

今日はどうも見立てが良くない日だなと思い残りの団子を食べた。
一階で買い物をしていた中年夫婦が二人共どえらいマイナスオーラを出し合っていた。きっとそのせいで引き落とされたのだ。私はその夫婦がいなくなるまで待っていた。

何かといろんな事が起きる季節です。マイナスオーラの人にはご注意を。

2012年12月13日木曜日

「終わって行く三人」




十二日神奈川新聞にこんなベタ記事があった。

「今年の社長」一位に日航の稲盛和夫氏、二位にソフトバンクの孫正義氏、三位はユニクロの柳井正氏だった。
産業能率大学が選んだらしい、何を基準に選んだのかは詳しく書いていない。

稲盛和夫氏は一度大病をして仏門に入って経営から一切手を引くといった人だ。
だが思いの他健康となると悟りを捨て、完全経済界に戻った。
東京の経済界ではあまり相手にされずそのうらみつらみで民主党に肩入れし、政権交代を果たしザマー見やがれ経団連となったが、その野望は民主党崩壊であえなく消えた。
権力への執念は仏門で捨てきれなかったのだろう、私は評価しない人物だ。

孫正義氏は生き急いでいる人だと思う。
若い頃肝炎をしたいわゆる肝炎→肝硬変→肝臓癌のキャリアである事を自覚しているのだろう。銀行の金は俺の金、一兆円二兆円はへのかっぱみたいなところがある。
どうせ一度は死ぬ身の体、借入金なんて俺の知った事かと割り切っている。
ソフトバンクは一代限り、経営というゲームを楽しむだけ楽しもうと思っているのだろう。
日本人でない人に一度日本の経営を任せてみてはと思うが、多分世界中の銀行から借り入れまくるのだろう。


人間はコンプレックスを巨大に正当化する。
我が世の春はそれほど長くはない。ハツカネズミはひたすら足を動かす。
丸い籠の入れ物がいかに大きくなってもハツカネズミ自体の大きさは変わらない。

アジアの労働力をコキ使って安物を売るブランドがどんなに大きくなっても、どんなに気取っても、ハツカネズミのブランドでしかない。

生きている限りグルグル回り続けそして終わる。とても悲しい生き物だ。
“日本人よもっと金儲けせよ、などと書いていた”経営者の第一の仕事は後継者を育てバトンタッチするかだ。

結局柳井一族だけが統治しやがて平家一族の様な末路になるだろう。
人格も、風格も何も感じない哀れな経営者だ。
ちなみにヒートテックは二枚買いました。


私は全国で一生懸命頑張っている社長たちにもしっかり目を向けてほしいと思った。
凄い社長がたくさんいるのだ。ゴマスリ大学よ。

三人に共通しているのは、コンプレックスに凝り固まったうんざりする程の金権主義者。天下国家を考えた渋谷栄一や小林一三や益田孝や井深大や本田宗一郎の様な事業家、技術屋、文化人としての実業家の素質はまるでなし。チンケな小遣い稼ぎのオッサンでしかない。
2030年後その会社の姿はないだろう。

2012年12月12日水曜日

「手帳の話」




手帳の季節がやって来た。

世界的建築家という安藤忠雄さんがあるインタビューを受けながら、ビッシリスケジュールが書き込まれた手帳を見せてこれわしにしか分からんのやと言って、どや顔ダミ声で自慢気に見せていた。

ある精神科医の説によるとスケジュール症候群というのがあって、手帳が真っ白だと不安神経症というのになるらしい。

私の手帳には空白が多い。
何を誰と食べたかの絵が書いてある。

忙しい事を自慢する人ほど本当は忙しくない、自分で色々スケジュールを入れて忙しくしているだけだという。

安藤忠雄さんは階段は使わない、エレベーターを待つのが嫌だとか、海外出張は毎日の如く、講演やインタビューの数知れず。
自らの著書のサイン会は夥しい数をこなす。
大変な数の建築物件を世界中で手がける。
元ボクサーだけに手数は多い。

その文化勲章受章者で自分の手帳を見せびらかしたのはこの人だけだろう。
その姿はどこか滑稽だ。

ある哲人の言葉を思い出した。
「本物の人物は何もしていない様な人間だ。暇を持て余している様な人間だ」
医師曰く「アクセク手帳をめくってアクセク働いている人間はほぼ不安神経症」だと。

2012年12月11日火曜日

「あるボーコー」




「過活動膀胱」凄い文字が新聞広告から飛び込んで何だこりゃと思った。

耳から聞くと“暴行”とも聞こえる。
暴行活動が“過激”になったのかと思った。

野際陽子さんがニタッと笑ってお悩みの方は、専門医にご相談下さいとね。
早い話が年を取るとトイレが近くなる、間に合わなくなってしまう人が40歳以上の約8人に一人、約810万人。治療している方は約212万人とか。
歴史は夜つくられるというが、病気の歴史は薬品メーカーがつくってくれる。

あるCMでウエッとゲップしていたら突然シャーロックホームズみたいな格好をした、筧利夫という役者が「それ“逆流性食道炎”かも知れません」などというではないか。
オチオチゲップもできない世の中だ。
老化は様々な病気を生み出す自然の摂理なのだ。

TV画面では80歳でエベレストを目指すとい三浦雄一郎さんがなんと1㎏のステーキをペロリと食べるというではないか。

兄弟分三人で鉄板焼きのステーキを食べた。
一人は200gのフィレ肉、二人は200gのサーロイン。
3人共にうーん、やっぱり150gでよかったなと口を揃えた。


最愛の孫がやっと退院できた。
風邪から胃腸炎を誘発し、それが原因で十二指腸潰瘍となり出血したとの事であった。
しばらくは通院経過観察となった。未だ足元がふらふらしてハイハイをしたりしているが、食欲が出て来てホッとしている。

市立病院でも大学病院でも小児外科が激減していると聞いた。
小さな子はみんなの宝物だ。
医学部の生徒さんにはなんとか小児科を小児外科を目指して欲しいと願う。
私の住んでいる街もすっかり小児科と産婦人科がなくなってしまった。

またトイレに行きたくなった。「過活動膀胱」かな。多分コーヒーの飲み過ぎだ。

2012年12月5日水曜日

「波乱の八日間」




1126日深夜、風邪をこじらせていた近所に住む息子一家の下の孫(1.8歳)の症状が悪化、茅ヶ崎市立病院の救急に行く。

直ぐ肛門よりカテーテルを入れ検査、CTスキャン、腸の傷から出血しているかも、もしもの場合は開腹手術をしないといけない、市立病院では小児外科が居ないので伊勢原の東海大病院へ転送となる。
市立病院の医師と私が救急車に乗る。
息子とお嫁さんは自分たちの車で向かう。
愚妻は二人の孫を見るため息子宅へ。

さあ〜、大変だ。
その日26日選挙関係の仕事の最終チェックを終えてぐったりとしていた。
が、そんな事はいってられない。救急車の中はクッションが悪くガタガタ揺れる。
点滴も揺れる。孫の目はぼんやり開いたまま、早く着けと願う。


30分後に到着した。
その日以来、124日(朝九時から内視鏡検査、8時までに来る様にとの事で6時に起きシャワーを浴び、7時にお嫁さんの車を待って向かう。
息子は社長と二人だけでやっている建築会社の土木基礎職人。
年の瀬で納期があり現場に行かねばならない。
昼時には小学生の孫二人が学校から帰ってくる。

愚妻は朝から支度し、弁当屋の様になり、朝9時か10時に病院から見舞いを終えて帰ってくる息子夫婦の分も勿論作って帰りを待つ。私は3時〜7時までお嫁さんと付き添いだ。
手洗い、消毒、マスク、院内感染も防ぐための紙の防護服を身に着ける。
家に帰り横になっていても、小さな子は夜中朝方に急変する事があるのでウトウトしながらも寝ずにいる。
27,28,29,30,1,2,3,4日まで全ての予定はキャンセルをしてもらった。


小児病棟にはいろんな子供が入院している。
見ると胸がしめつけられる、ツルツルの頭になった3歳位の子がいっぱいいる。
夕方から夜になるとお母さんやお父さんが見舞いにくる。
母の力はやはり凄い、ぐったりしていた子も母親を見ると立ち上がって喜ぶ。
ダッコしてもらって本当に嬉しそうだ。
ママ帰らないでえーという女の子の声が耳にこびりつく。

私の孫は未だ言葉がしゃべれないが、ダッコしてコアラの様にお嫁さんにしがみつく。
それでもビデオを見る間は私にずっとダッコされイスに座りジッとしている。
私の両足はしびれ、腰はパンパンとなるが、とにかくダッコする。
点滴、心電図などが体中につけられイライラ度100%で、モウ〜、モウ〜といい続ける。



何故あえてこの様な事を書くかといえば、親と子は愛情で繋がっていれば本当に幸福なのだ。特に母親の愛は何よりも子供にとって最高の事なのだ。
“転石に苔は生えず”という。この意味は転がっている石には苔が生える事はない、だから何かせよ(ローリングストーンズだ)。
他にこんな意味もある。商売ばかり替えていると財産ができないとも。愛情は金では決して買えない。三つ子の魂百まで。子は父と母の愛を決して忘れない。

124日検査を終え、酸素吸入を受け眠っている孫を見ながら病室を出る時、隣の部屋のツルツルのハーフの子が、また来てねといって手を振った。
その病室の一つのベッドにいる46歳位の子は、生まれてから起き上がった事はなくずっと同じ姿勢で生き続けている。
その父親と待合室で顔を合わせ思わず互いに頭を下げた。ずっと退院は出来ないらしい。


小田急線本厚木の駅前に、ヤンキー先生こと義家良介氏が不気味な目をして演説をしていた。パラパラと動員された150人位の老人たち。
熱気、活気、ヤル気まるでなし。
駅の側にあったご飯屋さんでお刺身定食を食べた。 

126日は久々の東京へ私の大切な二人の兄弟分との鉄板焼きの忘年会、何とか会えそうで良かった。一夜を楽しく過ごしたい。

2012年12月4日火曜日

「カンナクズの様な者共」


ジャッキ※イメージです



ヤクザ者の世界は、恥をかかされたらケジメをつけるという鉄の心がある。
特に大衆の面前でかかされた恥に対しては命をかけても行う。

121日早朝まで「朝まで生テレビ」という世の中に空気を入れる(ジャッキともいう)田原聡一郎司会で次の人間が恥のかき合いを行っていた。

ジャッキとは車を修理したりする時使う機械の事。世の中が騒がしくなる様誘導する始末の悪人間でヤクザ者の世界では最も嫌われる。
マッチポンプとも、空気入れともいう。

元杉並区長山田宏、みんなの党浅尾慶一郎、国民新党下地幹郎、自民党世耕弘成、民主党長妻昭、社民党吉田忠智、共産党大門実紀史、日本未来の党松崎哲久、公明党高木陽介の政治家各氏。その他長谷川幸洋(東京新聞)、香山リカ(精神科医)の二人。
まるでカンナクズの様にペラペラ、ペラペラ、軽い言葉を放発する。

小学校の教室より酷いので笑ってしまった。


人間カンナクズ田原総一朗如きに、ウルサイ!ダマレ!ハイ!CM
もう何を言ってるかワカンネエ的に怒鳴られてしまう。
ハイ田原さん、ヘイ田原さんとなる。
精神科医の香山先生はただ口をあんぐりして精神分析不能状態。

脱原発はどうすんの、ハイ即ゼロ、ハイ30年代まで、ハイ20年代、ハイ卒業へともう養鶏場の鶏の様。

私は思った。
もしかしたらガチャガチャ騒いでいる間にも、今日にも明日にも大地震、大災害が来るかもしれない
 そしてアッチ、コッチの原発から放射能が大飛散する可能性だってあるかもしれない。
そこから議論すべしであり、現在の被災地が今どんな状態のままにされているかを論議すべしなのだ。

この大騒ぎの前日記者クラブで党首討論があった。
その時ブッタマゲ、オドロイタ事が党首たちの文字の下手さだ。
恥ずかしくなってしまった。

流石に小説を書いておられた方は違ったがあとの党首は小学校の3,4年より酷い。
東大出をはじめ皆高学歴の人たち。
弁護士の女性もいたが本当にこの人司法試験に受かったのかと目を疑った、筆ペン、サインペン、ボールペン等で白いボードに書かれた子供文字(子供に失礼だが)を見て自らの恥を知り、しかるべくケジメをつけてほしい。

また、田原聡一郎如きにコケにされた政治家にケジメをつけろといいたい。
私の家の側にお習字教室があるので通ってこいといいたい。
最近公党間の約定書のやりとりもぺんてるの筆ペンだ。恥を知れ恥をといいたい。

せめて一人位達筆も鮮やかに論語の一言とか七言絶句などで政治家としての覚悟を書いてもらいたかったがとても無理の様だ。

もし私が朝まで生テレビの現場にいたら、きっと“テメエラ人間じゃねえ、叩き斬ってやる”とあの萬屋錦之介の“破れ傘刀舟”の決め台詞をいうか。
バケツにたっぷり水を入れて来てぶっかけただろう。

この頃やけに武士道について読んだり、王陽明の陽明学を学んだりしている。
ヤバイと思っている。何しろ思想とは実践せよだから。

こんな事を書きながら朝八時になり、NTVの「ウェーク選挙SP」をつけたら、また、また、ごっそりと政治家が出ていたので慌てて「トランスフォーマープライム 特命変形」に替えた。

ヤクザ者の世界では一度言った言葉には命をかけるのだ。
訂正は許されない。指が飛ぶ、一本、二本と。
出来ない事を出来るという奴を、あいつは“フカシ”とか“ラッパ”だという。最も低く見られるのだ。

大局観のあるまっすぐな政治家が出るのを待つ。
きっと出てくるはずだ。乱世は人を生むと歴史は教えてくれている。 
10年後か、20年後か、100年後かもしれない。天才は100年に一人。
大天才は1000年に一人とか。現在までの大天才は二人、一人は聖徳太子、もう一人は織田信長といわれている。いよいよ総選挙、決して棄権せず清き一票を投じて下さい。

2012年12月3日月曜日

「地球の法則」




脱原発が今回の総選挙の重要テーマだ。
私は勿論即脱原発だ。

この国の人間は、何かを実行してもすぐに止めてしまう習性がある。
節電、節油、節水、節紙。
かなり生活の現場、仕事の現場では徹底されて来ていると思う。

ところが何故コンビニは24時間営業しているのか。
スーパーでも、牛丼屋、ファミレス、またTV局は朝方まで通販の広告を流し続けている。大都会の街にはネオンが輝き続けている。

先日亡くなった名優、大滝秀治さんの出演したCMに“つまらんおまえの話はつまらん”というわずか15秒の作品があった。
“つまらん経済人”よもっと大きな心でこの国を考えてほしい。
あっちがやってるからうちもやれ、とか1日の売り上げ目標を達成せよ、とかを叫ぶのは止めだ。

吉野家の牛丼は大好きだったが、客の出入りが悪いので牛肉を煮過ぎて固くなり、独特の風味を出していたレシピの中のワインを減らしたのか質を下げたのか不味い味となった。近々250円にするともいう。
すき屋、松屋やなか卯も深夜から朝方までお客は一人、二人、パラパラだ。

私の家の側にあるコンビニに深夜二時、三時頃行くとお客は一人もいない。
店裏で万引きをビデオで見つける数台のビデオを見ていたオバサンは店主の奥さん、目は腫れぼったくなり、顔はボッタリむくんでいる。
缶ビール一缶とチーズを買ったら年齢確認の画面に「はい」の文字が出ているのでそれを押す。オバサンは超無気力状態。眠い、疲れた、ダルいのだ。

ある日の明け方、西友という海岸のそばにあるスーパーはガラガラというより誰もお客がいない。アイスホッケーの試合ができるなとか、ボーリングとかカーリングでも出来る状態だ。筆ペン2本とセロテープと茶封筒を2種類買って店を出た。広い駐車場に車はない。

なんで24時間営業する必要があるのか。
○△□×寿司という24時間やっている店がある。
ある日の深夜3時頃入ると、お客は私と若者二人のみ。入り口のネオンはキンキンギラギラだ。

なんでみんな、みんな24時間やってんのかと考えた時、そうか俺みたいな変な客が来る可能性があるからなのかと思った。日本酒1合、こはだ、まぐろ赤身、ヒラメを各一貫、かんぴょう巻を一本食べて店を出た。

ブクブクに太ったチェーン店の社長がマグロを解体する大きな包丁を手にして笑っている電飾看板が光り輝いていた。宿泊先まで歩きながら。解体せよ24時間営業と思った。

セブンイレブンは朝7時から夜11時まで。ようこそデニーズは12時まで。
他も同じだ。節電を徹底すれば人は家に早く帰り、家族の会話は増え、夫婦も仲良しになり子づくりだって始まるはずだ。朝は明るく、夜は暗い。男と女は愛し合う。
これは地球の法則なのだ。

2012年11月30日金曜日

「表現の変更を」




この時期にいつも思う事がある、差別的表現についてだ。

就活運動の内定率などを発表する時に何故、大企業、中小企業という表現を何の工夫も無くするかだ。この表現が学生さんたちを迷わせてしまう。

大きければいいのか。
パナソニック、ソニー、シャープ、でっかいけど赤字続き、リストラにつぐリストラ。
社員は日々疑心暗鬼で共有感なし。
こういう大会社と、10203050100人でもユニークで世界に名を成す企業でありしかも黒字でリストラなし。

経営者の熱意を社員が共有している。
親方と弟子が25人の会社だがそこから生まれる工作品は世界に並ぶものはなし。
技術の継承を守り社内は愛情に満ちておりリストラなどという言葉すら誰の口からも出ない。これからは会社の個性とか愛情度とか技術力とか夢叶う度とか、親方大好き度とかで分けたらどうだろうか。

大・中・小・零細で語っていてはいい人材は育たない。
出世だ肩書きだ、部下だ子分だなんていっている時代はもう終わっている事に気づかないといけない。

家の子は○×という一部上場の大会社に入ったのよ、なんて思っても何の足しにもならない。親の満足は子の不満足と知るべきだし、大学出たら何をしたいかを学生さんは考えないといけない。

自分が好きな事をやるべしだ。
会社の大きさなんかで選んではいけない。
リクルートなんていう会社はとてもフレキシブルなクリエーターが揃っているんだから。大・中・小・零細の表現をぜひ考えてほしい。


私の好きな映画に「ロックンロールミシン」というのがある。
行定勲監督の作品だ。若者たちがアパートの一室でミシンを踏みながら自分たちのジーンズのブランドを立ち上げていくという様な内容だった

 若者には特権がある。
夢力、体力、気力、食欲、性欲、感性、感度、それらを封印して地獄のリストラ会社に向かう事はない。好きよりものの上手なれ。自分の海へ出よだ。
夢力を無力にしては人生はつまんない。手に職をつけた人間は強くて負けない。
世の中では勉強できても馬鹿には勝てないのだ、男女共に。会社なんて見下ろしてやれ。

2012年11月26日月曜日

「出よジャーナリストよ」




この頃よく思う。
筑紫哲也というTVジャーナリストがいた事を。

報道のTBSといわれた時期があった。
彼はその顔であった。異論反論オブジェクションというコーナーは良かった。
少なくとも局内の権力の中でギリギリその命をかけてジャーナリストたらんとしていた。

時事通信の田崎史郎氏という蛤がしゃべっている様な、政治の予想屋の様が、あっちこっちのTV局に出てはアレコレ予想をし悦に入ったりしている。
 その姿を見るとジャーナリズムの滅亡を見る。
その他にも後藤謙次氏(元毎日)、田勢康弘氏(元日経)、岩見隆夫氏(元毎日)がどんよりと、まったりと、また日和っては予想屋となる。

私の夢は新聞記者だった。ジャーナリストに憧れていた。
その夢は遊びに没頭し浅学を極め、実現する事とならなかったがその精神だけは持ち続けたいと今も心の片隅で思っている。健全なジャーナリズムが育たない国に未来はない。

政治アナリスト伊藤惇夫氏を見る度気分が滅入るのは私だけだろうか。
思想信条のなさがその姿に出ている。永田町のアナ話をリストアップするからアナリストなのだろうか。真っ当なジャーナリストはTVなどに安易に出ないのだろう。
メンバーはいつも同じメンツだ。

つけ麺、タンメン、ラーメン、ジャージャー麺、ワンタン麺。
このメンメンたちはそれぞれ意地もプライドもあり堂々としたメンメンだが。
前記したメンメンには凛とした姿勢はまるで感じられない。

国が乱れる時、それを増長させるのは決まってエセ学識者、エセジャーナリスト、エセエコノミスト、エセアナリストたちだ。
無責任な人間のいう事は話半分、そのまた半分位で接する事が肝心と思う。




2012年11月22日木曜日

「勤労感謝」


※写真はイメージです


白鷺城といえば日本の名城中の名城である。

私は東京と中野区にある都立鷺宮高校に通っていた時期があった。
私にとって鷺(さぎ)は思いで深い文字の響きを感じる。

一方で詐欺という二文字がある。
詐は言を作るから出来たのだろうか。
欺は言葉がかけているから出来たのであろうか。

 オレオレ詐欺とか振込詐欺が横行し、その額1120日現在で238億円以上だという。
日本の法律は詐欺に対して刑が軽すぎる。

法律家のある人は騙すのは悪いが、騙されるのも悪いんだと言い放つ。
欲深い人間を詐欺師は電話の話し方ひとつで見抜くのだ。
携帯の人たちは証拠が残るので相手にしない。
固定電話の人たち、つまり老人がターゲットなのだ。
4億円以上振り込んだ人もいる。よくもまあ持っていたものだと思う。

東京駅八重洲口に証券会社の株価を表示するボードがある。
晩秋の夜風を浴び鼻水をすすりながらジッと立ち止まっている老人がいた。
 オジイサンそんなにお金を増やしたいのと聞いたら、見ているだけなんよ、もうスッテンテンだ。株が上がっているのに詐欺師に騙されて株を買う金も無くなったんだチキショウ。

そういう老人の体は寒さのせいか、グヤジー気持ちのせいかガタガタと震えていた。
私は寒さのせいで身震いした。

明日23日は勤労感謝の日だ。
お金はコツコツ働いた分だけでありがたいもの、それに感謝すべしだ。

2012年11月21日水曜日

「オイ、雲よ」




その雲の形はまるでいつか見た胃カメラで撮影した自分の胃袋の様であった。
その雲は次々と変形し、やがて胎児の様になっていった。

雲に常形なしという。
同じ雲が二度とない様に、人生に同じ日はない。

正岡子規は「秋の雲は砂の如く、冬の雲は鉛の如く」と書いていた。
「雲は天才である」と書いた石川啄木は借金の天才であり、嘘つきの天才であったという。

1121日早朝の雲はやがて赤みを帯はじめやがて血達磨の如くなっていった。
不摂生と不規則が正しい規則の様な生活を重ね重ねして来た。

闇雲に生きて来た人生にケジメをつける歳にもなって来た
赤い胃袋の様になった雲に語りかけた。オイ俺の胃袋、お前には随分無理をかけたな、よくがんばってくれたありがとうよと。

晩秋から初冬にかけての雲が一番好きだ。
今は未だいくつかの戦いの中にいるプロのはしくれとして命を注ぎ込む。
青い空に白い雲がぽっかり浮かんでいる人生などは望むものでない。

また今日が始まった。

2012年11月20日火曜日

「それぞれイロイロ」


※写真はイメージです

その夜私たちの隣りの席に、15人のお客が中華料理店に集まっていた。

さて、何を食べるかと一人一人考える。
中華料理店の女性スタッフがオーダーを取りにくる。
一人は肉たくさんチャーハンを。
一人は鉄鍋餃子と焼売と大ライスを。
一人は玉子スープと天津丼を。
一人はグラスビールと麻婆豆腐とザーサイと中ライスを。
一人は回鍋肉と小ライスと野菜スープを。
一人は海鮮具だくさん焼きそばを。
一人は赤ワイングラスとザーサイとパーコー麺を。
一人は海老チャーハンとワンタンネギ抜きを。
一人はグラスビールとかた焼きそばを。
一人は野菜たくさん平麺焼きそばを。
一人はフツーのラーメンと言ったら、ないよといわれじっと考え春巻き4本と春雨と小玉子スープを。
一人はチャーシューワンタン麺少し脂っこいを。
一人はレバニラ炒めライスとニラレバ炒めの違いを聞いて馬鹿にされてからジャージャー麺にした。
一人は中華丼に焼売をオーダーした。

この間約1時間、お店の若い中国女性は怒気をたっぷり含んでいった。
ニッポン人タクサンタクサンモータクサン。

お客さんたちは県会議員、市会議員、村長に村会議員たちであった。
リーダー格の議員はバラバラが一番イケナイ、一つになって頑張って下さい。

オッキャクサンみんなラーメンライスにしてくれたら早かったのにバラバラはイケナイヨ、ニッポンの政党みたいで。誰か一人怒ったのだ。

オイッ!オレが頼んだのはいつ出るんだこのヤロー腹ぺこなんだ!
な、なんとお下品な人たちでした。