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2014年6月30日月曜日

「あしたのジョー、の時代展」




ゴツイ、デカイ、コワイ、アバレル、スゴム。
その男の全身には暴力装置の全てが重層的に宿っていた。
夜の銀座でその男は異様な存在であった。
日本のアニメ界の元祖といっていいだろう。

宮﨑駿のアニメがメルヘンチックで、淡き少年少女の恋心であったりする清き正しい作風であるなら。
高森朝雄(梶原一騎の別名義)の生み出す主人公は、徹底的に反抗心に満ちている。
問題児であり、不良少年であり、強い者、ブルジョワジーへの嘲笑と侮辱に溢れている。高森朝雄こと梶原一騎は実は繊細で孤独で、純情で不器用だったのだろう。

梶原一騎の生んだ「あしたのジョー」は1967年〜1973年まで「週刊少年マガジン」に連載された。「ちばてつや」の作画はピカソも敵わない。リング上のゲルニカであった。
あしたのジョーは社会的メッセージを込めて、全共闘で動乱する日本社会へ送った。

それは、戦え!あしたのジョーこと「矢吹丈」は、打たれても、打たれても決して相手に屈せず、血反吐にまみれながらも不敵な笑いを浮かべて戦った。
その姿、真っ白い灰になるまでファイティンポーズをとる姿に、熱烈なシンパシィを生んだ。権力のために少年院に入れられても戦い続けた。
ジョーを想う財閥の令嬢の愛に対してもジョーは不敵であった。

金持ちのお前に何が分かるかと、それは「愛と誠」にもいえる、貧困の中に育った「誠」は、金で全てが手に入れる事が出来る「愛」に反発する。
と、まあこんな事は誰でも知っているはずだ。何しろその人気といったら「村上春樹」の数百倍だからだ。

ブランド志向のチンタラした恋愛物語に共感しているのは、ほぼモテない女とモテない男、恋愛コンプレックス人間たちだ。
私はとことんモテないが、村上春樹はゴメンだ。
悪寒が走り、気持ち悪くなるから(参考の為に嫌々読んでゴミ箱に捨てた)。

七月二十日(日)〜九月二十一日(日)まで、練馬区立美術館で「あしたのジョー、時代展」がある。
ジョーの永遠のライバル「力石徹」ちばてつやの原画100点を展示、故寺山修司、暗黒舞踏の土方巽、秋山祐徳太子やさまざまな芸術家、文化人、日本のトップアーティスト、トップクリエイターたちのあしたのジョーへの感性を知る事、見る事が出来る。
会期中は魅力的イベントが開催される。
戦う事がいかに美しい滅びの姿である事を感じるだろう。


サッカーワールドカップの戦いの時、日本の長友と遠藤たちは神聖なるピッチ上でチューインガムをクチャクチャ噛んでいた。
コレを見た時、こりゃダメだと思った。リング上でガムを噛むボクサーはいない。

疲れただの、熱かっただの、自分たちのサッカーが出来なかったの言い訳のオンパレード。あろう事か僕たちはまだ幼く未熟でした。全力で戦ってなかったのだ。

もう一回あしたのジョーを見ろと言いたい。泣き言は絶対に言わない。
一人でも多くの人に見てほしいと想う。
今の日本人に最も欠けてしまったものを見るだろう。

怪物梶原一騎とは何者だったのか。
きっと叶わぬ初恋を心底大事にしたロマンチストであったのだろう。
練馬美術館から来た案内状を見ながら乾杯をと思ったが、ハタと止めた。
力石徹はジョーと戦うために減量苦と戦った。
何日間も水一滴も飲まなかったからだ。(敬称略)

2014年6月27日金曜日

「野望の果ては」




戦国武将たちのバイブルといえば「孫子」の兵法と決まっている。
近代国家の戦争屋たちもこの書から学んだ。世界中の言葉に訳され今にきている。
勿論経済戦争、スポーツ全般に於ける戦略戦術もこの書を参考にしている。
聖書と並ぶロングセラーだ。

この書が教えるのは、戦わずして勝つ。
だがどうしても戦うなら「きれいに負けるより、汚くても勝て」とある。
人間の弱みにつけこみ、策謀をめぐらす。
ギリギリの本性を見抜き、衝動を読み切り、裏をかく。
野望と欲望の渦巻く渾沌を見定めて、人間の本質に肉薄せよ。

早い話が刀や槍や鉄砲や、機関銃やミサイルや、機雷や戦車、ましてや核爆弾を使って行う戦争は絶対にいけない。膨大な国費を使い、国力を消耗させてやがて人類を滅亡させる。と、教えながら中国五千年の歴史は永遠たる戦争の歴史であり、権謀術数の権力闘争の歴史でもある。

資源のない日本を支えているのは、中東をはじめ他国からの石油輸入である事は小学生でも知っている。
第二次世界大戦は資源を求めて戦略も戦術もなしで突入してしまった。
日本という国は、四方八方に気配り、目配りしてあらん限りの術を使って生き残るしかないのに。

勝海舟は「外交とは術だ」と言い遺している。
「孫子」の兵法を学んだ中国はあらん限りの手を使って挑発をする。
いい加減うんざりしているアメリカは戦争ばかりして来たので国力がすっかり弱くなってしまった。
だからもう戦争なんて出来ない、日本は憲法を改正して自分たちの事は自分たちで守れ。アメリカが戦争に巻き込まれたらちゃんと自衛隊を参加させろ、と強烈に脅された日本国政府は、外交の術を全く使うこともなく絶対服従を決め込んでいる。
中国はこの機を逃さず、孫氏の兵法に従い戦略の限りを尽くす。

残念ながら今の日本国に中国と渡り合える智略家はいない。
誘惑されて捨てられて、という言葉があるが、今日本の権力者たちは、親分アメリカの誘惑に引きずり込まれている。

映画ファンなら誰でも知っている「仁義なき戦い」という映画の中に出てくる、金子信雄演じるところの親分の術である。オドシ、カワシ、ユスリ、カタスカシ、嘘八百、そして使い捨て。
自分で一席を用意しておいて帰る段になると「ここの勘定払っておけよ」となる。日本国は高い代償を払うことになる。

六月二十六日午前四時十五分十一秒、NHKの画面に司馬遼太郎が出ている。
「なんで日本はあんな戦争をしたのか」そう語りかけている。
新しく始まる「知の巨人」シリーズの予告であった。
鶴見俊輔、丸山真男らが出る。必ず見なければならない。

2014年6月26日木曜日

「笹もちの愛」


津軽のミサオさん※日テレより


津軽に夫婦愛を見た。
サッカー中継によりいつもの週より二時間遅れてそのドキュメンタリー番組は始まった。

六月二十三日午前三時十五分〜四十五分、NTVの長寿番組だ。
タイトルは「津軽のミサオさん」であった。
ミサオさんは八十七歳、ミサオさんの夫は病院に入院している。

ミサオさんの朝は一人だ。
早朝に起きて「笹もち」を作るのだ。一日二百個。
一袋三十キロの米袋を軽々と持つミサオさん。
ミサオさんの笹もち作りは、丁寧を極める。手をかけ、愛をかける。
何もかも一人で作る。こねにこねたあんこもちを山で採って来た笹の葉に包む。
おむすび型にした笹もちをしっかりとせいろで蒸す。
一日二百個を一個百円で売る。

ミサオさんは自転車にヒョイと乗って軽やかにペダルを踏む。
その姿は底抜けに明るく、美しく可愛い。一日全部売って二万円。
でもそのほとんどは材料費や燃料費に消えてしまう。

ミサオさんは愛する夫を見舞いに病院に行く。
九十歳の夫は声をかけても少ししか反応しない。
「ご飯食べましたか」「ウー」ミサオさんは夫の手を握る。
握手しようね、食べないと困るわねーと言いながら手を擦り続ける。

ミサオさんの若い頃の写真を見ると飛び切りの美人であった。
ある日、一日だけ帰宅許可が出てミサオさんの待つ家に、車椅子に乗った夫が帰って来る。子どもたちと孫たちが千羽鶴を何本も作って帰って来る。
小さな家の中に笑い声が弾む。

ミサオさんたちの呼びかけにア・リ・ガ・ト、と言ったのだ。
みんなで拍手!拍手!家の入口のところに太い桜の木がある。
三十年前に夫が植えたのだと言う。

雪深い時、ミサオさんは雪かきに追われる。
ある日七百個の笹もちを作って、3.11で被災した越前高田の高校に持っていく。
私には何もしてあげれないとミサオさんは泣く。せめて笹もちでもと思って学校に行く。おいしい、おいしいと生徒たちは大喜びだ。
おばあちゃん、かわいい〜と口を揃えて生徒たちは言う。

その年、春四月桜の木に満開の花が咲く。
ミサオさんはお寺に行ってずっとお経をあげる。
その次の日、ミサオさんの愛する夫は九十一歳でこの世を去る。
ミサオさんは笹もちを作り続ける。

私は九十六歳でこの世を去るまで明るく元気で、すこぶる働き者だった母親を思い出した。消費税は福祉のために使うと言っていた筈だが、次々と老人イジメの法案を繰り出している。サッカーなら反則、レッドカードで一発退場なのだが、今の日本にはレフリーがいない。守るべきルールさえなくなって来た。

ミサオさんの笹もち、一個百円は消費税込みだった。

2014年6月25日水曜日

「敬意を込めて」

中島貞夫監督


サッカー観戦で頭の中がレッドカードになってしまったので映画を観て少しクールダウンさせた。

一本は映画館に足を運んだ。
有楽町スバル座、六月十九日午後六時三十分の回だった。
桜庭一樹の直木賞受賞作を大好きな熊切和嘉監督がメガホンを取った。

題名は「私の男」舞台は北海道オホーツク側の小さな町。
養父(浅野忠信)と養女(二階堂ふみ)の禁断の愛。実は本当の父娘だったらしい。
警官を家の中で養父が刺し殺すのだが、何故か警察に追われない。

広い映画館の中二は私を入れて十四人。
流氷の上に置き去りにされてカチンカチンになったという藤竜也の存在がわからない。
とにかく映像が暗い、暗い、暗い。禁断の愛が全く伝わって来ない。
どうした熊切監督と思いながら、映画は終わってしまった。

ただ久々に流氷の泣き声が聞けたのが救いだった。
かつて何度も撮影をした。流氷と流氷が接し合い、軋めき合い、重なり合うと流氷と流氷がまるでSEXをしているように、呻き声をあげるのだ。

熊切監督はきっと流氷によって、父と娘の漂う関係を描いたのだろうと思う。
秘かな月光りの下、夜の流氷は実に物悲しく、妖艶である。

もう一本はレンタルしてもらってきた映画だ。1980年東映製作「さらば、わが友実録大物死刑囚」監督は中島貞夫、東大出のプログラムピクチャー、何を作っても二流作、三流作という人なのだが、この二流感がいいのだ。
プログラムピクチャーとは、会社のスケジュール通りにテキパキと作る職人芸の人。
間違っても文学性とか、芸術性は追わない。

三十四年前の古い映画であったが新発見があった。
三人組のギャングの一人が若き日の役所広司であった。チョイ役だ。
現在五十八歳、日本を代表する名優である。こういう発見があるから古い映画は面白い。
 ¥もう一人若い死刑囚役に石田純一がいた。二人共苦労して今日を築いたのだ。

映画野郎に愛された監督が中島貞夫だ。
片岡千恵蔵から三船敏郎、佐分利信、鶴田浩二、高倉健、若山富三郎、藤純子、桜町弘子、菅原文太、山城新伍、みんな中島貞夫大好き役者さんであった。

現在は大阪芸大で若手の育成をしている。教育者としては超一流なのだ。
熊切和嘉、石井裕也、呉美保、橋口亮輔、山下敦弘をはじめ現在日本の映画界で数々の受賞をしている監督たちは中島貞夫の教え子だ。

ちなみに死刑囚役で出ていたのは、磯部勉、汐路章、高橋昌也、愛川欽也、室田日出男などであった。スターの影で頑張る大部屋俳優から小林稔侍や川谷拓三などの多くのスターを生んだのも中島貞夫だ。人間にはそれぞれ生まれながらの役柄がある。

若い人材を残している監督に敬意を込めて、いつものグラスに日本酒を入れて乾杯をした。何!映画の出来栄えはだと、それはもう期待通り、目茶苦茶三流作品だった。

2014年6月24日火曜日

「どんどん丼々」






うな重に、トンカツ、ビールにケーキ、ラーメンにギョーザ、ケンタッキーフライドチキンにジントニック、ウルトラビッグマック、お寿司に天ぷら。

野菜炒めにニラレバ炒め、ウーロンハイにハイボール、スパゲッティにピザ、コンビーフにツナ缶や牛肉大和煮缶、日本酒にワイン、テキーラにタコス、チーズにバター、シャンパンにマティーニ、焼き肉フルメニューに、天丼、牛丼、親子丼、その他丼々。

すき焼きに寄せ鍋、野菜サラダに野菜焼き、お好み焼きに焼きそば、お刺身におでん、ヤキトリに焼酎。

これを全部食べたい時に食べれるだけ食べても全然OKという先生がいる。
免疫学の権威で、順天堂大学医学部特任教授(医学博士)の奥村康氏だ。
「粗食が身体によい、腹八分目にしなさいなどといいますがとんでもない話です。健康管理をしっかりしている真面目な人ほど、不健康になっている可能性があります。コレステロール数値を心配する人も多いですが、気にする必要はありません。検査の数値をあまりにも気にしすぎるのは、かえって病気になりやすい」

なぁーんていう自説というか学説(?)を「逆張り健康法」というらしい。
著書も出している。この手の話は本屋の棚に数メートル位ある。

コレステロール値が低い人程うつ病になるというのは確からしい。
早い話、検査の数値は人それぞれに解釈すればいいのだ。
遺伝子も、体型も生活環境も、性格も一人ひとり違うのに、数値でひとくくりするのは参考になれど当てにはならない。
標準値をオーバーしていれば次々と薬を処方されるハメになる。
太った家系に生まれれば太るのが当然だから無理に走ったり、ジムなど行って痩せる事は危険な事なのだ。

人間は動物である事を忘れてはならない。それも何でも食べる地球上唯一の動物なのだ。好き嫌いを言わず、食べたい物を食べて寝る、酒の量も一人ひとり違うのだから、それぞれ適量を飲めばいい。禁酒などするとかえってストレスが溜まってイライラするだけだ。

日本人は肉より魚なんて言うのを信じ切っている。
青い魚を食べると頭が良くなるなんていう馬鹿な話を信じて、毎日、サバ、アジ、サヨリ、コハダ、イワシばかり食べたが頭が良くなったという話は聞いた事はない。

人間の寿命は実のところ生まれた時に分かるらしい。不慮の事故などに遭わない限り。
余方もない暴飲暴食をしない限り、過剰な塩分摂り過ぎの食生活をしない限り、生まれた時に決められた命の中で生きられるはずだ。
糖分を余り摂らないと頭の動きが悪くなるのでしっかり摂った方がいい。


と、まあ自分に都合よく解釈して、目の前に出て来た物を食べる事にする。
それが一番というのだろう。プリン体が痛風になるなんていう話はすっかり後退している、原因は遺伝子だったのだ。
日々食べていた物を検査の数値を気にして止めてかえって病気になった人が沢山いる。
また痩せるために慣れないランニングを始め、足腰をガタガタにしてしまった人も沢山いる。

百歳まで生きた殆どの人は何もしない、一杯酒を飲み、好きなものを好きなだけ食べて、よく眠ったそうだ。健康オタクほど病気になるというのが医学界の常識となって来ている。だがそれでは病院は儲からない、で、いろんな数値が提示されて行く。


私もそろそろ定期健診だ。
不思議な事に頭の中は異常なのに、あらゆる数値は殆ど正常値以下なのだ。
これを記しながらサッカーW杯を見ている。

現在六月二十四日、午前五時四十七分十二秒、ブラジルのネイマールが前半だけで2ゴールを入れた。腹が減ったのでカレースープをいただく事とする。
ニュースでサントリーの次期社長にローソンの新浪氏と出た。
創業家以外からの起用、オーナー会社ならではとはいえ、凄い事を次々と繰り出す会社だ。保守的経営をしているところは、グローバル化する時代から取り残されて行くだろう。

2014年6月20日金曜日

「土壇場力」




試験で100点を取るのは難しいが、サッカーで一点を取るのも難しい。
日本対ギリシャの戦いは、神話の国日本とギリシャ神話の国との戦いであった。
ヤマトタケルとかスサノオノミコトがいたら、アキレスとかヘラクレスがいたらいかなる戦いになっただろうか。

0対0の引き分け、相手は一人退場で、11人対10人、でも一点が果てしなく遠かった。
走力、突破力、飛力、決定力が世界レベルではない事がハッキリわかった。
狩猟民族と農耕民族の差が歴然とあった。
レフリーが一人退場となったチームから、中々次の退場を出さない事もわかった(何度も反則があった)。

日本的に言うならエクアドル人レフリーの武士の情けなのだろう。
日本コロンビアレコードという会社がある。そこには美空ひばりという大歌手がいた。
♪勝つと思うな 思えば負けよと“柔の道”を唄った。

次の対戦相手はコロンビアだ。
もう後がない、♪敗けると思うな思えば敗けよだ。人生の最後に成功を治めた人間が必ず持っていたものに「土壇場力」というのがある。何事も諦めてはいけない。
人間には火事場の馬鹿力というのも用意されている。

「戦争か平和」か、日本国憲法の行方が土壇場に差し掛かっている。
こちらの戦いからも目が離せない。相当に危うい状況なのだ。無関心は国を滅ぼす。

2014年6月19日木曜日

「熱いものは熱い」


イメージです 


その姿を見た時、中華料理店で“小籠包”や皮ものを食べる時は十分気をつけねばならないと思った。

その日、私は友人と中華料理店でランチをしていた。
私は五目麺をオーダーし、友人はワンタンと小籠包をオーダーした。

元々私は小籠包が大好きであったのだが“ホタテアレルギー”体質となり、もしかしてホタテが入っていたりすると全身がカユイカユイ状態になってしまう。
それ故残念ながら“焼売”も控えている。

友人と話が弾んだ。
サッカーは手を使ってはいけないスポーツだと思っていたが、実は一番“手”を使うスポーツである事を知った。つまり汚い手だ。
つかむ、ひっぱる、殴る、ひっかく、しがみつく、突き飛ばす、突き倒す。
ハイスピードで見ると様々な反則をお互いに繰り出す。

私はサッカーは詳しくなかったのでその友人から聞いた。
料理が運ばれて来て、私は型どおり五目麺を見つめ、まず何から手を付けるかを考え(ホタテは抜いてもらった)まずはレンゲでスープをすすった。
少し遅れて友人の小籠包が竹の入れ物に入って運ばれて来た。
丸い蓋を外すと湯気の中に小籠包が四ケ入っていた。
ワンタンがクラゲみたいにユラユラしていた。

アッチ、アッチ、アチチチ、アッツゥーと友人は口の中で小籠包をフギャ、フギャさせた。皮に包まれた中にアツアツの肉汁があり、用心深く二分割にしないでいきなり小籠包を攻撃したので相手が反撃したのだ。

やっぱり中国とは仲良くしないといけない、また用心深く付き合わないといけない事を知った。友人は、何だこれはやけに熱いじゃないかと、小籠包の法律では当たり前の事が、当たり前じゃだめみたに、フギャ、フギャつぶやいて水を一杯のんだ。

その店の小籠包はこじんまりしたサイズではなく焼売ほどの大きさであった。
仕方ない、ワンタンを攻めるかとレンゲにワンタンを乗せて口に運んだが、これがまた熱かったようで再びアッチ、アッチチとなった。聞けば猫舌との事であった(?)

中華料理の中で皮を使っているのは“春巻き”もあるがこれも十分気をつけねばならない。
当然私はその姿を観て大きく笑った。五目麺には伊達巻が、イカが、うずらが海老が、カニが乗っている。ベビーコーン、竹の子、キクラゲ、白菜、シイタケ楽しみいっぱい。
それを丁寧にずらして麺を箸に絡ませた。
友人は小籠包を箸で二分割にしていた。勿論、フーフーしていた。

2014年6月18日水曜日

「もう一つのドア」




法律の掟の中に“共同正犯”という罪がある。
例えば七人で本屋さんに入った。その内の一人が本を万引きした。
残りの六人はそれを知らなかったと言うが、防犯カメラには六人が万引きした人間の事を知っている様であったり、見方によっては万引きに気が付かなかった様でもある。

一人の人間は入り口付近でキョロキョロしていた。
一人の人間は首が痛かったのかグルグル回していた。
一人の人間は大きなトートバッグを持っていた。
一人はチューインガムを一枚噛んでまた一枚口に入れた。
一人はメガネのレンズをハンカチで拭いていた。
一人は本棚に手をかけメールを送っていた。

万引きしている一人は本屋さんたちの憎き大敵、常習犯であった。
持って来た大きな紙袋の中に布袋を入れていた。
パッコリ開けたその中に高価な本を選び次々と入れていった。
何個かある防犯カメラは鮮やかな手口を見つけられなかったが、一台がかろうじて一冊の本を入れたのをキャッチした。七人はゾロゾロと店を出た。

万引きした人間は当然お金は支払わない。
店を出た後モシモシちょっと待ってとなった。店員二人が紙袋の中の布袋を見せてもらうと、そこには十数冊の本が入っていた。実にあっさり万引きを認めた。
ありがとうなどと礼を言った。万引きした男は駆けつけた警官に連れて行かれた。
万引き人間は警官にも礼を言った。

後日、六人の人間も警察に捕まった。
が、六人は本当に何も知らないと言い続けた。実は本当に知らなかったのだ。
キョロキョロしていたのは彼女を待っていたから。
首をグルグル回していたのは前夜寝ちがえていた。
トートバッグを持っていたのはいつも持っていた通り。
チューインガムはいつも噛んでいるから。
メガネのレンズはくもっていたから拭いただけ。
本棚に手をかけてメールしていたのはその方が楽チンだったから。

実はこの七人はフェイスブックで知り合い、その日初めて会っただけ、分かりやすい本屋の前で会い、残りの人間が来ないので、まあ本でも立ち読みしましょうやと店内に入ってウロウロしていただけであった。

で、結果は主犯一人、他の六人は“共同正犯”となった。
その理由はそれぞれの行為や仕草が万引きを助けるサインであった、また囮であったと決められた。ウソッー、信じられねえ、ジョーダンじゃネエーと言い張り起訴された後、法律と長い間闘った。

主犯は勿論刑務所に。
前科十一犯、全て万引きであり、全て本屋さんであった。
無類の読書好きで刑務所が何より好き、いちばんゆっくり読書が出来るとうそぶく男であった。あんまり刑務所に入りたがるので、入る度にオメエーは本ばかり読んでいるからシャバに出ろと、出されてしまうのであった。
その度に頼みますから刑務所に置いて下さいと泣いて叫ぶのであった。

実はこの話は私の作り話。
先日有隣堂という本屋さんに入りウロウロ本を探しながらフト思いついたのです。
映画にしたら面白いかもと思ったのだが???マークが多いので考え直しです。

STAP細胞の小保方さんを主犯にするなら、共著に名を連ねた他の博士たちはみんな、共同正犯なんだよ、科学者も信用出来ない世の中は困ったもんだ。
STAP細胞はあります”を信じています。例え私一人でも。
難病と戦う人々の思いを込めて。

〈神が一つのドアを閉めたら、もう一つのドアが開きます〉立ち読みの本で知った言葉です。

2014年6月17日火曜日

「超絶の映像」





映画館のカタログの解説を記す。
「ヴァンデ・グローブ」四年に一度開催される世界唯一の単独無寄港世界一周ヨットレース。
南半球一周およそ26千マイル(約48,152km)の航程をおよそ100日間かけて帆走する。

フランスの大西洋岸のヴァンデ県レ・サーブル=ドロンヌ港を出発後、大西洋を南下、喜望峰を抜け、南大西洋を出て、南米大陸のポーン岬と南極大陸の間にあるドレーク海峡を抜け、再び大西洋に入り北上、レ・サーブル=ドロンヌに帰る。
強烈な風、強烈な荒波、無援助で長期間、緊急処置も及ばない航路を走る非常に危険なレース。

 2012-2013のレースに最年少で優勝した29歳のフランソワ・ガバール氏が打ち出した新記録は782時間16分。途中いかなる外部からの物理的援助は受けられない。
医学的アドバイスのみ通信で得る事が許されている。
レース中にスキッパー(舵を握る者の事)以外の人が乗船すると失格になる。


このレースを丸ごと映画にしたとんでもない映像を観た。
題名は「ターニング・タイド/希望の海」監督:クリストフ・オーファンスタン、撮影:ギョーム・シフマン。一日一回だけの上映。新宿シネマカリテ。
ミニシアター、座席数80(満席)外は土砂降りの雨。

ヨットに全く縁遠いのだが、会社の顧問をしてもらっている方が、有名なヨットマン。
その方の部屋のカレンダーに荒波と戦うヨットマンの写真がある。
遠くから見ると、どこかのどかに見えるヨットレース。実はこれが死闘なのだ。
自然という猛獣と戦うのだ。風速数十メートルの中でヨットに乗っていると思えばその過酷さが想像出来るはずだ。

緻密な作戦、戦略、技術、強靭な体力、強固な意志、強烈なプライド、勇気と冷静、自分自身を守るのはスポーツマンシップと絶対的哲学だ。海は一切容赦しない。
一瞬の油断が致命的となる。

今週からラッセル・クロウ主演の「ノア 約束の舟」が上映され始めたが、現代のノアの方舟みたいな宗教的メッセージを感じた。大洪水の中で約束の地を求めたノアの方舟。
人間と動物たち。この映画ではその動物に変わるアイディアが用意されている。
フェアプレー精神が現代人から消えて行く。
自分のプライドとは何かを考える事すら引き出しの中に閉まっている。

この映画を作った人々に大拍手!大喝采!を送りたい。
実際のレースと同じ様に設定をし、二ヶ月半をかけて撮影したとカタログに書いてあった。もちろん命懸けだ。フランスの映画野郎たちは本当に素敵だ。

ヨットをこよなく愛したという「石原裕次郎」がこんな歌を唄った。
♪海の男はいく 強者はいく〜と。海、男、風、荒波、強者、家族、友情。
この映画の結末は、現代人が忘却してしまった強者が、大切な事を教えてくれる。
近々全国順次公開。ぜひ観てほしい。感動的なラストだ。

ボブ・ディランの名作「天国の扉」がカバーリングされて流れる。
♪ノック、ノック、ヘブンズドア ノック、ノック、ヘブンズドアと。
泣けて来てしまった。早速顧問の方に観ましたよと電話をした。

2014年6月16日月曜日

「ドログバと包丁」




棚からぼた餅、みたいなワンチャンスにこりゃおいしいと左足で蹴ったら初ゴール。
日本中を熱狂させたのは本田圭佑選手だった。

が、輝いたのは前半の16分迄。
元日本代表監督トルシエがこうコメントした。
日本の敗因は“本田”と“香川”が動かず、機能していなかった。

高温多湿、熱帯林の中で戦うには日本人の体質は前半でヘトヘト、バテバテになってしまった。特に本田選手は殆ど思考停止、ただウロウロしているだけ、たまにボールを持っても直ぐに奪われてしまう。

ザッケローニはずっと“ホンダ、ホンダ、ナンダ、カンダ、ドーナンダ”と叫び続けていた。もっと動け!ボールを取りに行け!と。
試合後選手たちは前半ですっかり疲れちまったと口々に言った。

バカ言え、プロだろう、泣きを入れるなと思う。そう思っても、それを言ったら終わりの言葉なんだから“ドログバ”なんていう怪獣が入って来たら全員ブルってしまってオドオドになって二分間で二失点、で敗戦決定となった。

丸々徹夜して見た私もヘトヘトになってしまった。
ハッキリ言って四年前のワールドカップより弱いチーム、バラバラのチームである事が分かった。当然チームの輪、サッカーで最も大切なチームの規律を壊しているのは「本田圭佑」である事は間違いない。

自分の部屋で見ていた熱狂的日本ファンの愚妻が二階から降りてきて言った。
「野獣に勝てるわけないわよ、全然スピードが違うわよ」まだ試合時間が残っているのに、ジャガイモの皮を剥き始めた。

オー攻めた、チャンスだと言っている後ろで包丁を握りしめながら突っ立っていた。
ヤバイ、アブナイ、ドログバと包丁であった。技術以前の問題があると思った。
フィジカル、メンタル、つまりは体力と精神力、四年前にスターとなった選手たちはすっかりハングリーさを失っている。

CMに何本も出てフトコロはゴッツく重くなった。
その重さが動きを鈍くしてしまっているのだ。本田圭佑をザッケローニ監督は過信せず、早めに交代させてやる事だ。それと若手の大胆な起用だ。

それにしても人類は野獣であった事をドログバという魔王みたいな人間に感じた。
きっと、ノアの方舟の“ノア”はこんな男だったのだろう。

愚妻の包丁がギラリと光った。左手には人参を持っていた。
次の相手はギリシャ神話だ。
それにしてもTVのニュース映像で風呂に入り、チンポをブラブラ揺らせながらサッカーの応援していたオッサンたちの姿に、ガックリ来てしまった。