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2015年5月29日金曜日

「ある判決文」




「インド人もビックリ!」なんていうカレーのCMがあった。
検事もビックリ!弁護士もビックリ!原告側もビックリ!被告側もビックリ!の言葉が裁判官の口から出た。私もすっかり口にするのを忘れていた言葉だ。

昨年四月の法廷で判決が出たものが、何故か昨日の朝日新聞で報じられた。
突然出た言葉とは「枕営業」。

体を張って営業活動することを意味する。一人の妻が自分の夫が7年間クラブのママと関係を持っていた。そのことにより精神的苦痛を味わったと慰謝料400万円をママに求める訴訟を起こした。その判決が東京地裁であったのだ。
「枕営業は結婚生活を害さない」との画期的(?)判決であった。
妻はクラブのママと二人の関係は不倫だと訴えたが、あえなく敗訴した。

判決文は「売春婦が対価を得て妻のある客と関係しても、商売をしたにすぎない。結婚生活も害さないし、妻への不法行為にならない。枕営業と売春の違いは対価の支払いが、直接か間接かの違いにすぎない」この判決文では妻の夫は売春婦と関係を持っただけだから諦めなさいであった。

さて、どーだろうか、クラブのママさんを売春婦呼ばわりしていいのだろうか(?)
また、売春婦を差別しすぎて無いだろうか(?)
職業に貴賎はないはずではないか、人はみな生きて行くために体を張っているのだからそれぞれの“持ち味”を活かさねばならないこともある。

つまるところ何故夫は妻よりクラブのママさんに心を寄せたかだ。
裁判官はそういいたかったのだと思う(?)奥さんあんたが嫌だからだったんだよ、この際自分に落ち度はなかったか考えてみなさいと(違うかな〜)。
この逆のケースもあるだろう。男女同権だからね。

なんだかよく分からなくなっちゃったがやけに「枕営業」という言葉が新鮮だった。
日々営業して仕事を得るということは八百屋さんが野菜を、肉屋さんが肉を、私がアイデアを売るのに等しいともいえる。

私はよくこの歌を口ずさんで来た。
仕事上で嫌な相手にお上手を言ったり、過度のサービスをしている自分を見て、こころが切れ切れするほど嫌な気分になった時、♪〜ボロは着てても心は錦・・・と。

この世で生きて行くにはやむにやまれぬ事がある。
男と女の間にはエンヤコラ漕いでも渡れない河がある。
「妻は夫を慕いつつ、夫は妻をいたわりつつ・・・」確かこんな浪曲があったのを思い出す。

2015年5月28日木曜日

「村中(ムラジュウ)」




男が日傘をさすという話は聞いていたが、昨日銀座四丁目でそれを見た。
グレーのスラックスにストライプのYシャツ、左手に茶色のトートバッグ、靴は傘ばかり見ていたので足元は忘れた。

天才画家山下清を小林桂樹とか芦屋雁之助が演じたが、暑い日は確か傘をさしていた。
日傘は帽子の23度減に比べて810度も体感温度が下がるという。
35度の時日傘をさせば、頭の部分は2527度になるわけだ。
こりゃ涼しいではないかい。頭以外は熊谷とか館林で、頭の上は軽井沢高原なんだから。

頭のど真ん中を鍼灸のツボでは百会(ひゃくえ)という。
この百会を猛暑、灼熱から保護することはきっといいはずだ。
更に頭髪が薄くなっているのが気になる人には、その大敵である強い紫外線から守ることができるからベリーグッドだ。

遮光率が99%以上の生地を使用した商品を「遮光日傘」、99.99%以上は「遮光一級日傘」と呼ぶらしい。UVカットで皮膚ガン予防も期待できる。
さぁ〜どうだ、これでも日傘を買ってささねえかとテキ屋の啖呵売(たんかばい)みたいにすすめたくなるではないか。

銀座四丁目の日傘男を誰も注目することはなかった。
ジッと見ていたのは私だけだった。

ある会社に「村中(ムラジュウ)」という秀逸のアダ名を持つ背の高い男がいた。
一年中腕に傘を掛けている。そしてゆっくり胸をはって歩くその姿に榎本健一(エノケン)が唄った歌がピッタリだった。だれかがアダ名を付けたのだ。
♪〜オレは村中で一番 モボだと言われた男…曲の題名は確か「洒落男」だったと思うが定かではない。私が知る限りこのあだ名ほどピッタリ合う人はいない。
銀座、赤坂、六本木をユックリと胸をはって歩いていた。

もし、私が日傘をさして銀座四丁目辺りを歩いていたら、どんなアダ名を付けてくれるだろうか。一度やってみようかと思ってはいない。

2015年5月27日水曜日

「火」




新米の社会部記者は先輩にこう教えられるという。
「殺し三年、火事八年」だぞと。

思うに殺人事件の記事でスクープをとるより、火事の中に隠れた大きな真実をスクープする方がむずかしいということだろうか。

とっても明るくていい人でしたよ、会えばきちんとあいさつをしてくれる気さくな人でしたよ。ご夫婦はとても仲良くてご家族で遊んでましたよ。
ご近所の人というのは見てないようで他人の家をしっかり観察している。
いい人だった人が放火殺人の容疑者だとなると、かなり派手な人でしたねえとか、よくお寿司とか釜めしなんか出前してもらってましたよとなり、いつか何かあると思ってましたよ、しょっちゅう夫婦喧嘩をしてましたからねと変わっていく。

更には、そういえば河原なんかでよく焚き火をしてましたよ、なんて話を作り出す人も多い。バーベキューが好きだといっていたからやっぱ火に感心があったんじゃないすかとなっていく。

ヤクザ者のオドシのセリフの定番が、オリャー山に埋めるぞとか、海に沈めるぞとか、燃やして灰にするぞとかである。だが今こんなことをやっているのはいわゆる一般人といわれる人たちだ。
ヤクザ者にいわせれば、今日び堅気さんの方がワシらより何ぼもオドロシーでっせなのだ。

ネットで知り合った者同士の凶悪事件が多く起きている。
この事件の流れはとめどなく拡大していくだろう。

社会部の記者をずっとやっていて今は定年時代を送っている友人がこういっていたのを思い出す。
初めて火事の現場に行って炭化した人間を見た時、未だメチャ熱い現場で気を失ってぶっ倒れてしまったと。人間という生き物は金のためなら人間性を捨ててしまうともいった。

人類がはじめて「火」を手にした時から事件の歴史は始まったのだ。
それにしてもご近所の人はよく他人の家を見ているものだと思う。
おはようございます、あ、“今日は”おでかけですか行ってらっしゃい。
朝の何気ない挨拶に、ドキッとする日がある。


2015年5月26日火曜日

「小学校の運動会」



このことが勇気あることか、かわいそうなことか、感動的なことか、私は論じ合わない。
ただその10分ほどのシーンに生徒(800人位)とその家族やご近所の人たち3000人近くが心を打たれた。

五月二十三日(土)私は孫の運動会の応援に船橋まで泊まりがけで行っていた。
三年生80メートル徒競走が乾いたピストルの音ではじまった。
5人1組で走る。速い子、遅い子、ゴールを目指して懸命に走る。

何組かが走ったとき運動場は静かになった。4人はすでに60メートル位を走っている。
一人の男の子はとても細い、両腕はだらりとし、両足には力が入っていない。
例えていうなら人形が人に手によって走っているようであった。

20メートルを過ぎたとき生徒たちはもちろん運動場のみんなが、ガンバレ、ガンバレと声援を送りはじめた。
男の子は女性の先生によって両脇をかかえられている。
ガンバレ、ガンバレの声を受けて男の子はゴールを目指す。次の組はスタートせずに待っている。
そして大声援の中、男の子はゴールテープを過ぎた。
拍手の渦となった。私は胸が熱くなった。
男の子を出場させた親に拍手を送った。

医学が進歩してきっと男の子の機能は劇的に進化するだろう。
その時、彼は何を目指して走り出すだろうか。
私は、船橋駅から横浜アリーナでのロックの公演を見るために移動する列車の中でそんなことを考えていた。
私の結論は短距離走のランナーだ。
きっとそうなる、あと10年もすればきっとそうなる。
あの大声援が一つひとつの筋肉を、細胞を、一本一本の血管を再生し活性化するだろう。

小学校の運動会は毎年私に多くのことを教えてくれる。

2015年5月25日月曜日

「生のONE OK ROCK」




こんな例えをしたら叱られるかもしれないが、こんな例えしか思いつかない。
ロックは全体主義になる。熱狂する大群衆の前で独裁者がボーカリストになり絶叫をしたら。ドラムスと二人のギタリストと共に。

五月二十三日(土)横浜アリーナで敬愛する中野裕之監督に大熱狂を見せてもらった。
上階にあった招待席はゆったりとした椅子席であった。 
360度ギッシリの若者、下を見ると平場に立ち見の若者が柵で囲まれている大きな三つのブロックの中に、ギューギュービッシビシにつまっている、熱狂的ファンたちだ。横浜アリーナは17000席と資料にある。空席なんか一つもない。

中野監督がハイ、水といって冷えたクリスタルガイザーを渡してくれた。
午後六時ゲストの歌が始まる。ヒタヒタと迫るような歌声、私小説のようなフレーズ、どこまでも静かだ。
五曲唄ったあと、今日はONE OK ROCKの横浜公演にお呼びいただき光栄ですとマイク越しにいった。そうです、ONE OK ROCKの公演です。

六時四十分、薄暗いステージ、ボーカルの声が男になった。
と、その瞬間からそこは熱狂広場、重低音、体の中を地下鉄が走るようなウルトラスーパーウーハーの世界。おまえらしか聞き取れない。
99.99%がハイル・ヒトラーのように右手を挙げる、そして終りまで挙げ続ける。
もの凄いことになった。ドラムの激しい音、二人のギタリストから繰り出される強烈なリズム、小さな体を躍動させるボーカリスト。
走る、飛ぶ、踏み台みたいなのに上がって大ジャンプする。
160センチ位の体が23メートルの巨人に見える。

おまえら△◯かあ〜、99.99%がイェーイ、おまえら△◯か〜、イェーイ、ズキューン、バコーン、ガガァーン、どでかい雷が落ちたようおな大音響、吹き出す白い煙、分割されたスクリーンには炎、激流、地球、破壊される壁、赤や緑色のビーム光線がスモークあふれる空間を突き抜ける。英語で唄っているのか、日本語なのかも分からない。

99.99%がハイル・ヒトラー状態で熱狂する。
だが限りなく100%がルールに従っている。この光景は何かに似ていると思った。
それが独裁者の演説であった。あの状態でボーカリストが、おまえら戦争するか、といえば99.99%がイェーイと応えただろう。
極度の興奮状態では何もかもイェーイなのだ。

私は耳鳴りを忘れ、首や座骨の痛みもおしりの下から突き上げてくる重低音で忘れてしまった。頭がクランクランしたので丁度横にあった鉄の柵を握った。
九月に追加公演やるぜ、イェーイ。そしてアンコール、アンコール。
ボーカリストはステージの隅から隅まで行って最敬礼をした。
ありがとうございます横浜サイコー、九時五分に終わった。

中野監督はこんな激しいステージと共に世界十一カ国の公演を二ヶ月つきっきりで撮り続け映画にしたんだと改めて驚いた。その後中野監督が迷路のようなところをスタッフと共に案内してくれた。そしてONE OK ROCKのメンバーと会わせてくれた。
汗びっしょりの四人の若者は実に清々しいスポーツマンのようであった。
ボーカリストは世界タイトルマッチをフルラウンド戦ったボクサーのようで神々しかった。

中野監督を見つけると、あっ中野さんといって近づき強く抱き合った。世界中をロックで戦って来た者同士の泣けちゃうシーンであった。二人に言葉はいらない。
おまえら独裁者に負けんじゃないぞ、「戦争法案」に絶対反対しようぜといえば99.99%がイェーイと応えたのではないだろうか。

ふと故忌野清志郎のステージを思い出した。彼以来反原発・反戦争を堂々と唄うロックンローラーはいない。♪〜どうしたんだ ヘイヘイ どうしたんだ ヘイヘイなのだ。

2015年5月22日金曜日

「数字とカラムーチョ」






市場調査とか世論調査とか、GDP数値とか景気回復動向調査とか、街角景気動向調査とか日本国は調査大国だ。

私は調査は好き勝手に作られているのであまり信用しない。
特に調査会社の調査はズルが多いのでアテにならない。
莫大な費用をかけて調査する、その調査上の数字に従って商品を企画開発し、市場に出して予想通りヒットしたものは少ない。ほとんどないといっても過言ではない。

ある年ある新商品の調査に立ち会った。
そこにはコンビニの柵がソックリ作られていた。
隣の部屋には警察の取調室のように大きな透明の窓。
そこから各年代層の人がどの商品を選ぶかを覗き見る。

調査する対象の人たちは実はこんな調査に参加することをアルバイトにしている人たちで、いわばリサーチへの参加プロ。専門会社から参加を依頼される。
一日に何カ所もハシゴする人も多い。

こんなことは分かっていたがビックリしたのは、その調査会社が同じ場所で同じようにライバル関係の商品を調査していたことだ。
つまり秘密もなにもあったもんじゃねえか、ふざけんなよ、こっちは死にもの狂いで開発してんだよと頭に来てしまった。
更に調査会社の社長と担当者がメーカーの担当者にどんな風にデータを作り上げましょうかと相談する始末だ。

メーカーの担当者は自分の手柄を上げたいのが当たり前だから、自分の考えが色濃く出ている商品がいいスコアになるように八百長を支持するのだ。
このバカヤローとなり、私はこれ以上やれませんと、私を起用してくれた人に断りを入れた(心から申し訳ないと思っている)。

成功は失敗からというがその通りでヒット製品やヒット商品、ヒット曲やヒット作は、お前バカかそんなもの当たる訳ないだろうとか、よくもまあそういうことを考えるなとか、これで失敗したら誰が責任を取るんだよ、だけど何だか新しいやってみるか、そんな中から歴史的なヒットが生まれてきた。

株価が上がった、GNPも上がった、時価総額も上がった。
政府の発表する数字は上がった、上がった、上がったばかりだ。
日経新聞をよく見ると、ベタ記事でほんの小さく実質賃金は下がり続けていると10行ほどで書いてあった。黒田日銀総裁が丸八真綿のコマーシャル(2枚、2枚)みたいに。
2年で2倍、2%と大見得切って数字を語ったが、今やその姿はショボくれてしまった。
二枚舌だったのだろう。約束の二年はとうに過ぎてしまった。

物価上昇2%のために、値上げ、値上げのラッシュ攻撃だ。
日本の上場企業(一部・二部)はわずか2500社位、日経平均はその中の255社からだ。
日本の会社のほとんどを占める中・小・零細企業はカラムーチョのヒーヒーおばさんみたいにヒーヒーしているんだ。

2015年5月21日木曜日

「ステーキな夜?」




水玉のことを“ドット”という。
この水玉をドット、ドット、ドット描いている現代アートの巨人がいる。
その名を草間彌生(86)さんという。

2014年全世界の美術館における展覧会動員数第一位を達成した。
アタシって天才ね、天才ねといいながら下絵なしに一気に大作を描き上げて行く。
左手に食べ物を右手に絵筆で。

この女性は毎日病院からアトリエに向かい、その日ドットをドット描いてまた病院に帰る、ほぼ50年 近く?その繰り返しだ。外国に行った時はどうしているか分からないが、きっと同じような気の安まる場所があるのだろう。
草間彌生さんにとって一番安心でき るところが病室なのだ。

気を病んでいるのかは分からない、何しろ天才だから。
頭の中にどんどん湧き出ることをドット描く。向こうから幻覚が出て来て、心が 鎮まる、描いているときが一番具合がいいようだ。倒れるまで、死に物狂いで描いてもっといい作家になりたいという。

「さよならベートーベン」という映画を 観た時、スランプになったベートーベンが森の中を歩く、あっ音楽がどんどん降りて来る、あ〜どんどん降りて来る、頭の中の五線譜に交響曲が書き込まれてい く。天才の頭の中は見たことがない。

昨夜1150分から55分(5分だけの番組)、現在のETV、むかしの教育テレビの「日曜美術館」を見た。1983年 の番組からだ。人間国宝の染色家「芹沢銈介」さんが下絵を描きそこを彫刻刀でグイグイ彫っていく。彫刻刀は下絵の通りに彫らない、下絵はあくまでアタリ、 下絵のまま彫ることはない。彫りながら出来上がりがイメージされる。
彫刻刀の動きは速い、凄い、森羅万象からあいうえをの文字まで自由奔放に芹沢銈介ワー ルドが生み出される。天才は老人であり鋭い青年のようであった。

チャンネルをNHKに した。完全放牧で牛を育てている酪農家が紹介される。
黒い牛たちが自然の草をバクバク食べて丸々と元気よく育っている。
画面が変わるとその牛たちがぶっ殺 されたであろうその後の姿がステーキになって映し出される。少し硬いわね〜とナイフとフォークが牛肉を刺し切り刻む。

番組のタイトルが「牧場の生き残りか け牛の“命”と向き合う」であった。
生き残りをかけている、殺される牛のセリフだろうと思った。酪農家は牛を愛しでやさしく見えるが、牛から見ると怖ろし い人たちなのだ。
クジラやイルカは哺乳類だから可哀想だと思うが、牛も豚も哺乳類だ。
複雑な気分となった。シーシェパードの人たちは牛肉や豚肉は食べてい ないのだろうか。

もあれこの地球上でいちばん残酷な哺乳類は人間だ。
結局何でも食べちまうのだから。

英国の首相であったW・チャーチルが新聞記者のインタビューにこう応えた。
健康の秘密は何ですか「人を食って生きている」と。かくしてイルカは水族館に来なくなる・・・?おや、今夜はステーキですか。

2015年5月20日水曜日

「シーサンプチュン」




独裁的な「橋下徹」維新の会代表の後釜に、ズル平といわれた祖父「松野鶴平」、寝業師といわれた父「松野頼三」の息子「松野頼久」がアタフタと大騒ぎしながら選出された。

さてこの男が使えるかといえば、全く使えないだろう。
トッポイ兄ちゃんでしかない。
Yシャツのボタンを二つ三つ開け、ピンストライプのスーツに身を包み高級外車を転がす。
祖父と父親のDNAが染み込んでいるからあっちこっちとフラフラ、フラフラと揺れ動いて来た。軟派な不良みたいでとてもじゃないが天下国家など論じ得ない。
独裁者が生んだ政党からその独裁者がいなくなったら、カツのないカツ丼であり、天ぷらのない天丼、牛肉がトンズラした牛丼だ。

民主党は党首岡田克也がテレビに映し出されると、もうそれだけでどーんと暗くなってしまう。戦闘意欲が全く見えないのだ。政治家とは演説だ!といわれるが力ない言葉にこりゃ駄目だとなる(私の主観です)。

麻雀をやった人ならこんな言葉を知っているだろう。“シーサンプチュン”という。
はじめに13牌を手にするのだがその手の内がバラバラということ、こうなったらもう一度ガラガラとかき混ぜやり直せる。牌が2枚揃うとトーイツ、3枚揃うとアンコというのだが、今の野党はトーイツもアンコもない。
国家が戦争法案に突き進み、沖縄では普天間反対のうねりが起きているのに。
ウチの党に維新の会から何人来るかな、などと指を折っているのだろう。

勉強の出来る人間が頭がいいという決まりはない。
勉強の出来る人間同士が言い争っているのを見ると、本当に頭が悪いなと思う。
みんな自分が一番だと思っているからだ。一歩身を退いて大局を見る器量がない。
「着眼大局、着手小局」という。物ごとを広く大きく見て、打つ手は小さなところにまで目をこらせという意味だ。

永田町村に長く住み続けると、世の中の大局が見えないこととなる。
たまには外海に出て荒海に揉まれないと本当の景色が見えない。

競輪をやったことがある人ならこの言葉を知っているはずだ。
“バックを踏む”という言葉だ。それは自分がこいつについていけば(マークという)と思った奴がゴチャゴチャの中に入ってしまった。
まずいシマッタとペダルをバックにして止めて一番後まで退りそこからもう一度仕掛けて行く(まくりともいう、競輪の自転車にはブレーキがない、バックを踏むと止まる)こういう選手はやるじゃんとなり、いよいよ競輪場にラストを告げる鐘がジャンジャン鳴る。
逆に強い選手にべったりマークして二着、三着を狙う選手は小判鮫だと嫌われる。

チンチロリンというサイコロバクチをやったことがある人なら知っているだろう“ションベン”という言葉を、三つのサイコロを丼ぶりに入れて転がし目を出す、五回振り落とすことが出来るのだが、興奮して手に汗をかき出すとサイコロが指にからみつき丼ぶりの外に出てしまう。こぼすとか垂れ落ちるから、あっションベンだ総付けだとなる。
相手にしている全員に支払いとなる。

さて、松野頼久さんは乱を起こし、シーサンプチュンのようなバラバラの手を揃えて行けるでしょうか。ゴチャゴチャから一度退きまくることが出来るでしょうか、手に汗をかいて丼ぶりの外にこぼさないように。ズルと寝業はいけません。

独裁的官邸に少しずつほころびが出て来たようです。
実力をつけたNo.2とか軍師は歴史的に皆権力者に放逐されました。
蟻の一穴がどんどん大きくなって行くでしょう。
観相学的に見ると、別離の相でしょうか。権力者の目にNo.2への不満が見え、No.2にはイライラが目立ちます。

党の代表が「石原慎太郎」と「松野頼久」じゃ役貫と千点位の大きな差があります(麻雀に例えてスミマセン)。
お金に例えれば10,000円と100円位の差といえばお分かりでしょうか。
アレッ!ニュースを見ると新代表の手がすでに汗ばんで震えている。(文中敬称略)

2015年5月19日火曜日

「㊙と男とは」




⑤⑦⑱この番号の順に競走馬がゴール板を通過した。
私はテレビで競馬を見るのが好きだが馬券は買わない。
サラブレッドは血で走るという、そのロマンが好きなのだ。

十七日(日)JRA東京競馬場で行われたメインレース「ヴィクトリアマイルカップ」(芝コース1600メートル)であった。この三連単の配当金がG1史上最高馬券となった。
100円玉が20,705,810円になったのだ。

このレースは牝馬(メスウマ)だけ18頭出走した。⑱は最低人気であった。
馬の名は「ミナレット」という。的中は196票だった。
一人一票なら196人が100円を2千万以上にしたということだ。

私がへぇ〜と思ったのはこの「ミナレット」という馬がJRA競馬史上最高額の馬券であった1284日の新潟の新馬戦で出走17頭のレースで14番人気だったが一着でゴールを駆け抜けた。配当金は29,832,950円であった。
何とも不思議な運を持つ馬ではないかと思った。
未だ5才の牝馬だからきっといいお婿さんがプロポーズして来るだろう。
人気がないのはエリートの血筋でないからだと思うが。

人生と同じで一生懸命走っていれば人気は最低でもきっといいことがあることを教えてくれた訳だ。当たり馬券を手にした人は直ぐに換金した人もいれば、金を貸してくれとか、寄付してくれとか、貸した金を返せとか、飲ませろ食わせろといわれたらたまんね〜と、しばしシラバックレていようと思っているはずだ。
汗水たらして稼いだ金でないと身につかないというから十分に気をつけるべしだな。
愛読している夕刊紙にこんな調査&ランキングが載っていた。
人間の心理をよく物語っている。

私は宝くじは買ったことがない(シャレでプレゼントに買ったことが一度ある。相手がお金持ちだったから、もっとお金持ちになればと)。
最新の「宝くじ長者白書」によると1000万円以上の高額当選者の行動パターンを分析すると、当たったことを知ってから「換金までの期間」が、当日が8.6%、翌日が11.9%、27日が31.7%、一週間位が25.5%、1ヶ月位が15.1%であった。
ドリームジャンボ7億円を含めたその使い道は、1位が「貯蓄」、2位が「土地・住宅」、3位が「借金返済」一部でも「寄付」したが2.1%、無回答が7.2%であった。

私の知人の公認会計士のところに、3億円が一人、1億円が一人当選してその使い道の相談に来た。
二人共この金をもっと増やす方法がないかであったという。
公認会計士がどんなアドバイスをしたかは当然㊙であった。

ガキの頃の先輩が、バクチで賭けた金は、バクチ場で使い切るんだ、それが男だからなといっていた、間違っても貯金なんかするんじゃないぞと。
貯金をして褒められるのは相撲取りだけだからなと。 
15日間終わって勝ちが負けより多いのを貯金という。
人生87敗、一つ勝ち越しが私の想いだ。あードスコイ、ドスコイ。

2015年5月18日月曜日

「オダブツ」





「あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わ。」

私が利用している国語辞典は一つしかない。
昭和三十五年九月十日第一版。編者「宇野哲人」、発行者「陶山巌」、発行所「㈱集英社」である。新修広辞典・新版である。半世紀以上この小さな細長い「共同印刷㈱」が刷ってくれたのを利用している。五十音索引には、四十四音しかない。カタカナは載っていない。
何故こんなことを書くかというと、日本と米国が中国の台頭と覇権主義に対抗するというために戦後七十年守り続けて来た平和憲法を改正するその大きな一歩を、国会の審議もせずに閣議の名で決めた。私は親中でも親米でもない、嫌中でも嫌米でもない。反戦争なのだ。

さて、何故五十音かというと、日本人は中国人が生んだ五万字ともいわれる漢字の一部を使っている。日本国政府が反中を徹底するというなら政府の公文書は漢字を使用すべきではないだろう。
そうでないと中国とは五分と五分で話せない。ひらがなと、カタカナのみで書くべきなのだ。
日本の文化は中国思想、中国文化から多くを学んで来た。仏教も然りである。

日本経済も米国経済もいまや中国無しでは有り得ない。米国はとことん日本を利用して全てを巻き上げる、そのために憲法改正を命令する。TPPも命令する。最も重大なISDS条項も命令する。
米国は訴訟国家であるから自分たちに不利益とみれば日本企業を相手に何でも訴訟を起こすはずだ。米より、肉より、自動車より、この条項がいちばん日本を食い物にする。
このことが分かっていても大新聞や主要なテレビでは詳しく報道しない。上からの命令だからだ。

“経熱政冷”が現在の日中関係だ。
日本人と中国人が銀座で殴り合ったという話は聞いたことが無い。
主なデパートには中国語の館内放送が流れる。英語と中国語のインフォメーションが当たり前だ。
中国人に道をたずねられたら日本人は皆親切に教える。
中国人は謝々、謝々(シェイシェイ、シェイシェイ)とお礼の言葉をいうのだ。
確かに銀座にはうんざるするほど中国人観光客がいる、その一方で爆買いで銀座は熱気にあふれている。

再び五十音に戻る。私の辞典には「ん」が載っていない。何故か?無学な私に分からない。
五十音なのに四十四音なのもわからない。
ただハッキリしていることは、日本も米国も中国を本気で敵に回したら「ん」の尽きということだ。

一法案一国会といわれるのに、十一の法案を一つにしてわずか数カ月で採決する、(当然強行採決だ)自民党のある派閥の長が土曜日のTBS報道特集でこういった。
「本来なら十一年かかるでしょう」と。

あなたが中国を嫌いなら明日から、ひらがなとカタカナ、あるいは英語や仏語など外国語で生きて下さい、それが筋というものです。
勿論、仏教もです。このままではニッポンワ、オダブツです。

2015年5月15日金曜日

「幸せなら」




●我慢に我慢をしていたオシッコを無事済ませた時
●玄関で靴を脱いだ時、腕時計を外した時
●靴下を脱いだ時
●洗面所で手を洗い顔を洗い石鹸の臭いを感じた時
●腰痛バンドを外した時
●ブラジャーを外した時
●パンストを脱いだ時
●パンツを脱いだ時
●冷たい水をコップ一杯飲んだ時
●シャワーを浴びた時、風呂にザボンと入った時
●風呂上がりにキンキンに冷えたビールを一気に飲んだ時
●おならを一発二発と出した時
●首飾、耳飾り、指輪を外した時
●犬がトコトコ迎えに出てくれた時
●猫を抱いて肉球に触った時
●つけまつ毛を外した時
●カツラを外した時
●ネクタイを外した時
●重いジーンズを脱いだ時
●パチンパチンのスパッツを脱いだ時

等々、などなど、ナドナド、人はそれぞれ仕事に疲れた我と我が身に、あ〜帰って来たぞ、あ〜やっとこさ帰って来たわを実感することがある。


本人から聞いた話と想像上の話である。
私もこの中の一つで実感をする。

ある芸能人が髪を束ねていた物を外し、シャワーを浴び、厚化粧を全部洗い流し、スッポンポンになった自分を見ると、あらアタシ男だったんだと確認する。
その後、そのままソファーに座り足を大きく開いてバカヤローといってワンカップ大関を一気に飲み干す。
この瞬間がたまんねんだよなとひとり言をいうらしい、と昨夜知人に教えてもらった。

さて、あなたはどんな時に自分の帰って来たぞの開放感を感じますか。
何!家に帰りたくないだと、玄関に女房が出て来て顔を合わせた時、ゴハン食べて来たでしょと言われ、どっと疲れが出てしまう、寝ていてくれればと願っていたのに。
何!いつも定時に帰って来ている亭主がニタッと笑っている、手にはフライパンかなんか持っていて遅かったね、ゴハン作ってんだと嫌味ぽいのにもう我慢が出来ない。
あ〜嫌だ嫌だと。

♪〜幸せなら手を叩こう 幸せなら手を叩こう 幸せならみんなで叩こうよ ほらみんなで手を叩こう…こんな歌を口ずさんでしっかり手を叩いて下さい。
間違っても顔を叩かないで下さい。

2015年5月14日木曜日

「デカの目」




メロンパンはおいしい?と私はいった。
八十歳を過ぎたであろう老人は、ん、おいしいよといった。


五月十日(日)の午後浜昼顔が咲いている辻堂海岸の側のベンチに私は座った。
先に座っていた老人は大きなメロンパンを食べていた。口の周りに白い砂糖がついていた。

四人くらい座れる木のベンチには私と老人だけが座っていた。
後にはサイクリングロードを走る人、歩く人が次々と通過する。
その後にはバーベキューをする場所があり若者たちがジュージューと肉を焼き、ソーセージを焼き、野菜を焼いたり焼きそばをつくっている。当然ビールやウィスキーや焼酎や日本酒やワインを飲んでいる。上半身ハダカの若者が多い。

若い女の子がキャーキャーと騒いでいる。
夏になるともっともっとバーベキュー大会となる。老人がぽつんと言葉を発した。
お兄さんとはずい分むかしに会ったことがあるねえと。
私もすでに老人だがジーンズにアロハシャツだから“町の兄ちゃん”に見えたのだろう。

えっ、どこで会ったっけと私はいった。
辻堂駅前の横浜銀行のところでと老人はいった。全然おぼえていないな、よくおぼえているね、どんな風に会ったっけといった。あの頃駅前の違反自転車を見張っていた。

お兄さんが自転車を停めて階段を登っていった時、ダメダヨここに停めて置いていってはと注意したら、お兄さんはおじさん元刑事か警察官だろといったんだよ、目がデカの目だと。

へぇーそんなことあったっけ、あの頃は四、五人で見張っていたもんね、何回か自転車の墓場みたいなところに運ばれていった自転車を探しに行ったもんなと私はいった。
お兄さんはあの時もアロハシャツだったからよくおぼえているんだ、それに警察官を辞めたあとで確かに目がデカみたいな感じだったからな、といって老人はオホ、オホ、オホホと笑った。左手に持っていたメロンパンを右手で千切って口の中に入れた。
おじいさんは今やさしいいい目をしているよ、元気でねといって私は自転車に乗り江ノ島の方に向かった。

2015年5月13日水曜日

「ダルマになった記者」



前々回のブログで朝日新聞のエース記者「深代惇郎」のことを書いた。
となると読売新聞のエース記者の「本田靖春」のことを書かねばならない。

二人が互いに認め合う記者であり、衆目一致した二大エース記者だったからだ。
龍と虎であり、大鵬と柏戸であり、長嶋と王の様であった。

本田靖春は深代惇郎より四歳下であった。
その凄絶な最後は今も新聞記者の間で語り継がれている。

本田靖春は社会部記者として遺したものに「黄色い血」追放キャンペーンがある。
それは日本の献血制度確立に多大な貢献をした。
また「疵—花形敬とその時代」で愚連隊安藤組全盛時代の大スターの生涯を書いた。
先輩記者、立松和博の挫折を描いた「不当逮捕」、更に「誘拐」「村が消えた」など多くの名著を遺した。「我、拗ね者として生涯を閉ず」は580頁の分厚い本である。

このブログを書くにあたり調べた所、私は2005年、53日に読了とあった。
深代惇郎が深遠なる静的知性なら、本田靖春は永遠なる動的知性といえる。
二人の共通点は「超一流のプロの記者魂」である。

本田靖春は糖尿病がもたらす壊疽でまず右足を切断、その半年後に左足を。
足なんかかまわない、文章を書くには頭と手さえあれば文句ないといった。
その間に大量下血、大腸癌の切除手術をする。
幻覚と幻聴に襲われる中、更に肝癌、右眼失明、更に心筋梗塞、脳梗塞を起こした。

足切断の手術に耐えれるかという中で手術は行われた。
全身麻酔が途中で切れてしまうという麻酔医のミスがあった。
本田靖春は激痛の中で「それでもプロか、俺の命なんかどうでもいい、こんなことをしていたら毎日のように事故が起きるぞ」と苦悶しながら叫んだという。

それから三年後大腸癌再発、右手指四本が壊疽に襲われる。
本田靖春の肝癌はドヤ街に取材に入り、自ら売血の現場で注射針の使い回しを体験したからといわれている。人間の体がダルマのようになってこの世を去った(享年七十一歳)。

通夜・葬儀は一切行わず、戒名も位牌もなし。
遺骨は冨士霊園の「文學者の墓」に納められた。個有の墓はない。
文学者の名が連なる墓碑の一隅に「本田靖春・不当逮捕」と刻まれているだけである。
本田靖春が信じていたものは、人間の「善意と無限の可能性」である。

本田靖春に怒鳴られ、叱られ、批判され、反省を迫られながら若き記者たちは育てられたのだろう。「我、拗ね者として生涯を閉ず」電報文でいえば「ワレスネモノトシテショウガイヲトズ」20052月講談社から緊急出版された。
プロフェッショナルとは仕事に命を懸ける者のことをいう。
本田靖春なら昨今の大学病院における医療ミスの数々を何と書くだろうか。

2015年5月12日火曜日

「しみじみ、しじみ」




仕事柄一日の始まりは、まず朝刊の死亡欄を見る。
お世話になった方や、恩人や知人の不幸な知らせを確認する。
嫌な習慣なのだが万が一にも義理を欠く事は許されないからだ。

と同時に、えっあの人がとか、えっしばらく見なかったが、いい建築家だったとか、いい画家だったとか、いい陶芸家だったなとかを知る。
死亡欄には人の歴史、社会の歴史が見えて来る。
私も歳をたらふく食って来たので同年輩の人にはその都度お疲れさんでしたと声をかける。

五月十日(日)の朝刊に二人の死亡を知らせる記事があった。
一人は「滝田裕介」さん八十四歳であった。
もう一人は「柳生真吾」さん四十七歳であった。

滝田裕介さんというとテレビの人気番組の「事件記者」と「ベン・ケーシー」の吹き替えの声を思い出す。俳優座出身のいい役者さんであった。
柳生真吾さんは清里の自然をこよなく愛する役者さん「柳生博」さんの息子さんだ。
ずっと以前に、一度仕事をご一緒させてもらった。とても爽やかな人であった。
息子さんの柳生真吾さんは園芸家で有り、かつてNHK「趣味の園芸」の司会をしていた。未だ四十七歳、柳生博さんの無念さが伝わって来る。
清里の森、清里の生き物、清里の人々も泣いて、泣いて、泣いているだろう。

新聞記者は私の憧れの職業だった。
松本清張原作の松竹映画「風の視線」という映画がある。
その中に若き日の滝田裕介さんが報道写真家として出演していた。岩下志麻が眩しく美しい。佐田啓二が渋くてイイ、この人ほどアスコットタイの似合う役者はいない。
この映画に故松本清張が特別出演している。ある人に聞いた話だが、かつて銀座に何軒かあった文壇BARで、いちばんモテたのが「故吉行淳之介」、いちばんモテなかったのが松本清張だったと、札束をテーブルにバンと置いて、これで今夜“ヤラセロ”というのが定番だったとか。「風の視線」には青森の十三潟(十三湖)が出て来る。

今は亡き親友とその十三湖でとれる有名な「大和しじみ」のことを調べに行く機会があった。そのために十三湖がらみの映画や映像を集めた。
「風の視線」は松本清張の好きな題材、不義、不倫、殺意と愛情が交差する人間ドラマだ。人間とは欠点だらけなのだ、松本清張はそれをいいたかったのだろう。
特にブルジョワは秘密ばかりなのだと。話がすっかり横に逸れてしまった。

「滝田裕介」さんと「柳生真吾」さんに合掌する。
亡き友と行った青森の十三湖はまるで日本海のようであった。
風が強く吹き、波が荒立ち、しじみを売る出店の旗が千切れんばかりにバタバタと音を立てて震えていた。

2015年5月11日月曜日

「連休は善い人ばかり」



♪空が泣いたら雨になる 山が泣いたら水が出る 俺が泣いても何にも出ない…泣いてたまるか、泣いてたまるかヨォ〜を…

 

渥美清の歌声で始まるテレビドラマは「泣いてたまるか」一話45分である。

40話を見ると1800分だ。

一枚のDVD2話入っている、TSUTAYAにそれがズラリと並んでいた。ヨシ連休中全部見てやろうと決め五枚ずつ借りて時間のある限り見た。

結局十二枚24話を見たところで連休は終わった。

 

と、同時に小津安二郎の「彼岸花」「麦秋」「東京物語」も見た。

勉強のために何度か見ている。何故「泣いてたまるか」と小津作品を見たかといえば、善人に会いたかったからだ。渥美清の「泣いてたまるか」は徹底的に貧乏であり落語の世界のようである。

後年巨匠になっていく監督や脚本家やカメラマンが活き活きとして貧乏を演じる渥美清を自由奔放に描き出す。

タクシーの運転手、飯場の土方、ラッパ吹き、おもちゃ屋の社長、野球の審判、将棋好きの刑事などなど市井の中に生きる善人たちをカメラは上から下から、左から右から、斜めから好き勝手に撮る。

 

今は亡き左幸子と、東野英治郎、藤山寛美、笠置シヅ子、左ト全、バーブ佐竹、殿山泰司、西村晃などが一話ずつ共演する。ヤキトリ20円、串カツ50円、魚フライ50円、オムレツ70円、ラーメン40円、山かけ60円の時代だ。

一人として悪人や嫌な奴は出ない。若き日の市原悦子、緑魔子、栗原小巻、三原葉子たちが好ましい。タクシー初乗り(大型)100円の頃は人間が人間らしく生きていた。

 

大巨匠小津安二郎の作品にも悪人は決して出ない。善い人間ばかりだ。

但しこちらはみんなお金持ちばかり、美人ばかり、原節子、山本富士子、有馬稲子、田中絹代、桑野みゆき(大ファンであったがカレーと肉まんの中村屋の若旦那と結婚して芸能界からすっぱり引退した)など当時のスターが小津安二郎の言われる通りに芝居をする。今は亡き佐分利信、中村伸郎、佐田啓二、高橋貞二、笠智衆など小津作品の常連がみんなまるでロボットのような芝居をする。

小津作品といえばカメラは動かずローアングルと決まっている。

特徴的なのは玄関の扉、ガラス戸、襖、障子がいちばん芝居をする。

モンドリアンの構図のように。そして全て一点透視画法(パースペクティブ)である。

都会はビュフェの絵のようだ。お金持ちだが善い人、いい奴ばかりなのだ。

 

「泣いてたまるか」と共通しているのはドラマの主軸に茶の間があることだ。

一方は狭く、一方は立派で広い。

茶の間に家族は集まり、茶の間に会話があり、家族に秘密らしきものはない。

子どもは茶の間を通って親にきちんとあいさつをする。

 

私は小津安二郎の作品は実は苦手なのだ。監督の言うとおりの芝居、脚本に忠実なカメラワークが大人の学芸会みたいで気恥ずかしくなるのだ。どの作品も美男美女ばかりが気に入らない。お金持ちの善人を作り過ぎ、リアリティを感じない。

きっと大人の寓話なのだろう。小津安二郎は悪人が嫌いなのだ。

脚本の名コンビ野田高梧も。

 

貧乏人たちがてんでんバラバラに逞しく生きる方が私は幸せを感じる。

ともあれ連休中は悪い人には一人も会わなかった。

 日本国憲法が悪い人たちの悪知恵で、悪い方向に進んでいる。

 

連休中に「天人」というノンフィクションを読んだ。

昭和4850年代、朝日新聞の天声人語を書いた新聞界史上最高のコラムニストで名文家といわれた「深代惇郎」のことを「後藤正治」が敬愛を持って一冊の本にした。

深代惇郎は私の最も憧れつづけているジャーナリストだ。もう一人は本田靖春。

深代惇郎は四十六才の時、急性骨髄性白血病であっという間に死んでしまった。

 

今の天声人語は深代惇郎に比べたらただの「へ」みたいなものだ。

この国からジャーナリストは消えてしまった。「そして誰もいなくなった」そんな映画があったはずだ。この国から気骨ある人間が消えてしまった。

「現在を見誤るのは、過去に無知だから」という、無知の人がハシャギ回るこの国の明日を亡き深代惇郎はあの世でどう書いているだろうか。(文中敬称略)