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2016年2月29日月曜日

「ニンニクの日」






本日二月二十九日は四年に一回の「ニンニクの日」
男と女が特別な関係になったか否かを見分けるには、夜ニンニクが入った料理を一緒に食べているか否かで見分けるのだと、噂大好きの廊下トンビが言っていた。
あの二人夜遅く焼き肉一緒に食べていたぜとか、ギョーザとかを一緒に食べていても疑われる。
いわゆる臭い仲という訳だ。私は深夜に食事することが多い職業なので、いろんな女性と焼肉やギョーザを食べることが多い。多分イロイロと噂をされて来たはずだ。
何しろ廊下トンビはアチコチに出没しては針小棒大に話を広げまくる。

午後八時四十九分十七秒今日は朝から何も食べていない。
ヨシ今日は仕事が終わったら美人と共に焼肉かギョーザを食べようと思う。
否一人ぼっちでかも知れない。腹の虫がグウーグウーと泣いている。

2016年2月26日金曜日

「グエン・アオキ将軍」




あと10分か15分行くのが遅かったら戦友に会えなかった。
今日は早く帰ることにしようと思い仕事場を出た。外はやけに寒かった。
セーターの重ね着をして、その上にオーバーコートを着て体がゴロゴロしていた。

外に出て歩き出すと、頭の中に家に帰ろうという気持ちとヴァニラ画廊の「宮トオル遺作展」に行こうという気持ちが交差した。
初日(22日)に顔を出し、2324日と行けなかったので気になっていた。
確か今日は奥さんが来ている筈だと思い、足は一気にヴァニラ画廊に向かった。

三原橋の交差点を渡り新橋方面に向かった。和菓子の「おめで糖」を売る店が目印だったがそれが見つからない。工事現場となっていた。
おっとココだとヴァニラ画廊に入った。地下二階である。
午後五時十五分頃であった。

会場は二つに別れている。
画廊の女性が、奥さんとご友人が来てますよと言った。記名帳を見ると青木勤と書いてあった。
えっ、青木さん来てくれたんだ(案内状を出してあった)と声を発すると、画廊の女性が裸婦画の方に未だいらっしゃいますよと言った。
えっ、いるのと言って戦友と会った。ウァー、イヤー、ドヒャーとなった。

青木勤さんは大手広告代理店の取締役制作局長だった。
体は小さいが根性は抜群、泥沼のような乱戦、混戦、難戦の戦いになると、俄然パワー全開となる。
オレ、モメゴト大好きとなるベトコンの隊長の様になるのでグエン・アオキさんと言った。

ややこしいクライアント、うるさいクライアント、エバリくさるクライアントの仕事や絶対に負けられないプレゼンを背負い、グエン・アオキさんは戦い続けた。
いろんな仕事をご一緒させてもらった。連日ほぼ完徹、完全なる完徹、半徹、完徹を繰り返し勝利を勝ち取った。
敗けたらチキショウ次は絶対にとやたらに面倒なクライアントの仕事をやった。
お互い若かった。目茶苦茶仕事が楽しかった。三十数年の戦友であった。


青木勤さんとおでんのお多幸に行って、あの頃、あの日、あの事、あのヤローの事、あんちくしょうの事、あの人のことなどを語り合った。
家に帰っていたら会えなかった。
画廊の中で奥さんと青木勤さんとで絵について語り合った。
青木勤さんは現在水彩画の達人として二年に一度銀座で個展をして、ほぼ完売する人気作家なのだ。

おでんとお酒で気持ちよくなり新橋駅まで一緒に歩いた。
青木勤さんは千葉流山まで帰る。
会えてよかったよ、よかったと握手して別れた。戦友は徹底的に戦った中でしか手にできない。

グエン・アオキ将軍の次の個展を楽しみに待つことにする。画伯のご来場に心より御礼を。

2016年2月25日木曜日

「つれづれなるままに」




トランプの本場アメリカのラスベガス(ネバダ州)でドナルド・トランプが勝った。
共和党の代表選手の一番手になりつつある。
不動産王トランプがツーペア、スリーカードからフルハウスになりそうなのだ。
この金髪赤ネクタイのオッサンは、勝つ、勝つ、勝つをひたすら連呼する。
ウヒャー、勝った、勝った、ザマーミロ本当に勝ったぞと雄叫びをあげる。
ハリウッド名物B級映画を観ているようだ(アメリカの終わり)。

また高くなった、高くなった円高(羽毛の原毛輸入にはいいのだ)。
また下がった、下がった株価。気温のように下がる。
ヒラリー・クリントンはTPPに反対!と方向転換した(ヒラリと変わる)。

トランプが大統領になるなんてマンガみたいだが、やっぱり最後はドボンとなる。
だが日本にとってヒラリー・クリントンが大統領になってもいい事は何もない。
野心と野望に満ちたヒラリー・クリントンの人相が、日々悪相になっている。

民主と維新が合体というが昨夜のニュースを見ていると、まるでお通夜のようであった。勝負には何より気合が必要なのにそれが全く感じられない。
あー目がかゆい、鼻水が止まらない、くしゃみが止まらない、花粉症の到来だ。
伊藤園が血流にいいという機能性のお茶を数種新発売とかいつまでやるのか、おーいお茶。冷凍したすしを海外で売るとか、解凍ルパンズシだ。

埼玉県小川町で老夫婦が無理心中、ご主人は未遂で生き残る。
殺人犯として逮捕されるも食事を摂らず牢死した。
認知症の妻の介護に疲れきった果ての事。言葉を失う悲しい事件が多発する。

清原和博をこれでもか、これでもかと叩く。
スポーツライターの一人位、清原和博の再生にチカラを与える文章を書くのではと思っていたが未だ一人もいない。清原和博にも息子がいる。
少年にとってパパは英雄だったのだ。人間を再起させるのも社会の役目だ。
目ん玉をキョトキョトさせてカンペを追うミヤネ屋こと宮根誠司を見るとお前も浪花の男だろ、清原和博を当分取り上げたくありません位のことを言ってみろといいたい。

私の友人が一本のバットを見せてくれた。
そのバットには清原和博のサインが書いてあった。
きっと何千、何万の人々が清原和博のサインを貰って勇気をもらったはずだ。
やっていけないことをやったら罰を受ける、出来たらそっとしてやれだ。
警察が本気でスポーツ選手を追い込んだら、きっとスポーツは終わってしまうのだろう。世の中はすべからく一罰百戒で成立する。

あー目がかゆい。甘利明はまだ睡眠障害とか、私などは20年間不眠症だ。
気がつけば甘利明は逃げ切り体制だ。テレビでは長距離トラックの運転手さんが、不眠不休で愛する家族のために運転している姿があった。
親の死に目に会えなかったと屈強そうな男が涙を流す。
男は守るべき者のために一生懸命働くしか無い。鼻水が止まんない。
私には花粉症の厳罰が待っている。昨日十時半から午前一時、つれづれなるままに。
(文中敬称略)

2016年2月24日水曜日

「養老乃瀧」



昨夜朝早い仕事に備えて、川口ステーションホテルに泊まった。 ビジネスホテルにしてはかなり広く、宿泊代は5500円だった。

そのホテルは川口駅の側にあり斜め前に「養老乃瀧」があった。実に懐かしい店名だ。
貧しき若者の頃酒を飲む場所の多くは養老乃瀧であった。コップに濃いウイスキー、ヤキトリにモロキュー、イカの丸焼きなどをつまみに友と飲んだ。
居酒屋チェーンのパイオニアであった。
店内には必ず社長の名が書いてあった。

社長は代々「木下藤吉郎」であった。
このウイスキーを飲み続けると目が潰れるぞなんて言われても濃いウイスキーを飲んだ。
すっかり忘れていたが店の入り口に目標支店6000店と書いてあった。赤い看板である。

日本の三大七夕祭りといえば、仙台、阿佐ヶ谷、平塚。その阿佐ヶ谷に一番街という日本でも有数の飲食街があった。当時数百店位あった。
15〜19才迄ここで酒を飲んだ。
一番街のいちばん奥、高円寺に近い所に養老乃瀧があった。

夜になるとそこにみんなが集った。
他の客は会社員、ゲイボーイ、ヤクザ者、フーテン、テンプラ学生、ホステスさん、チンドン屋さん、黒服、流し、地面師、雀ゴロ(麻雀のプロ)、パチプロ(パチンコのプロ)、ゴト師(イカサマ師)、愚連隊、右翼、大学の応援団、スケコマシ、ヒモ、花龍部屋の力士、日大相撲部の学生、的屋、職人などが毎夜集まり飲みまくる。
モメ事が起きない夜はない。
何しろみんな血走って飲んでいる。酔うために飲んでいる。酒を楽しむなんて人は来ていなかった。

半世紀以上養老乃瀧に行っていないが今はどうであろうか。きっとスマートになっているのだろう。
外からちょいとのぞいたら若い男女でいっぱいだった。
木下藤吉郎さんが今でも社長名なのかは分からなかった(社長になった人が名を継ぐのが決まりだった)。

あの頃飲んでいたウイスキーはどこのウイスキーだったのだろうか。ケンカして殴り合い、口の中が裂けた時そのウイスキーでよく消毒した。
傷口にしみる味がたまらなく心地よかった。

亡き母によく言われた。
あなたは一年中生傷が絶えないのねと、傷の一つ一つが友情の証、後輩を守る証、ケジメの証だった。一番の証は、惚れた女への証だった。
ヤスキク(気安く)自分の女に声をかけたらその男は即ジ・エンドであった、今度養老乃瀧に行ってみようと思った。

2016年2月23日火曜日

「スカーチョ」




スカンクといえば、オナラが臭いと決まっている。
それじゃ“スカンツ”といえばスカートのように見えるパンツの事。
七分丈の“ガウチョパンツ”よりゆったりとデザインされている。
ワイドパンツというのもある。
スカートとガウチョパンツを合わせて“スカーチョ”というのがあるらしい。

昨日中学一年になる孫の服を求めてあるショップに入った。
実はそこで交わしたファッション用語だ。センスないねえと私は言った。
スカンツなんてパンツから漏れているオナラみたいだし、ガウチョなんてドンガバチョみたいだし、スカーチョなんて辛くないカラムーチョみたいではないか。

ファッションがすこぶる低迷しているのはセンスない人が集まって、足が短いヒトを長く見せるにはとか、胴長のヒトを胴短にするにはとか、太腹のヒトを細腹にするにはとか、見た目フェイクするにはどうするかばかりを考えて造語をつくっては売り出す。
安直な言葉だからファッション史にならない。何より女性に敬意を持たなければならない。

すみませんそのスカンツ見せて下さい、そのガウチョパンツも見せて下さい。
やっぱりそのスカーチョをフィッテングさせてください。
なんだかファッションぽくないではないかと思うのだ。

雨が急に強く降り出したので予定時間より長くそのショップに滞在してしまった。
最近ファッションの広告がパッとしないのが残念だ。
三越伊勢丹が本日22日は営業を休みますと貼り紙がしてあった。
いいではないか、さすが三越伊勢丹だと思った。

一年365日営業するなんて止めた方がいい。
他のデパートやショップもきっと追従するだろう。
休めばいいアイデアも出るというもんだ。
いらっしゃいませの作り笑顔も休めばもっといい笑顔になるはずだ。
疲れきった販売員の顔ではモノは売れない。
人間の心理とは不思議なもので、休んだ店には行きたがる。

「ファッションに強い国民になろう」PARCOが提唱した言葉だ。
今では中国人がそれを目指しているのだが、中国語とファッションは水と油のように融け合わない。日本人はかなりファッションに強い国民になっているのだなと思った。
雨の銀座は昨日もチャイナ・シンドロームであった。
ベサメムーチョ、カラムーチョ、ガウチョにスカーチョなのだ。

2016年2月22日月曜日

「宮トオル遺作展」





銀座ヴァニラ画廊にて、久々に一枚のリトグラフの絵を買った。
と言っても会社で買った。いずれ私個人として買い戻そうと思っている。
手元不如意という訳だ。

画家の名は“F.Sゾンネンシュターン”という。
美しい絵を描いている人。かわいい絵を描いている人。
上手に描いている、どこかで見たような絵を描いている人。
床の間に似合う絵を描いている人。その人たちとは価値観がまるで違う。

人間の神髄を描く。
感化院、精神病院、刑務所、アル中、放浪、ドサ回りのサーカス、コメディアン、キャバレー、アル中、その後占星術師、郵便配達、密輸業者、オカルト教団教祖、精神病院、詐欺師、男爵夫人の情人、塩の販売、医薬品偽装販売など〜。
13人兄弟の三男に生まれたゾンネンシュターンは90歳で死ぬまで人間の想像出来ない人生を生き、想像を超える絵を色鉛筆で描いた。

この狂気の画家に匹敵するといえば、海外なら“ピカソ”やアフリカンアートの“ムパタ”であろう。日本人画家でいえば“ジミー大西”だ。
現在の日本でジミー大西に勝る画家はいない。
気取った画家たちはジミー大西の絵を見たら、バカにし、コケにするだろうが内心はガタガタと震えるだろう。

本日22日より銀座ヴァニラ画廊で私の友人のご主人であった“宮トオル”さんの遺作展が開催される。35日まで。縁あって少しばかりお手伝いをさせて頂いた。
沈黙する聖少女」がタイトルだ。

私は宮トオルさんの絵の大ファンであった(実は二枚秘蔵している)。
ぜひご覧ください。独特のエロス、子宮の中から語りかける無言が、きっとあなたを聖なる心に誘ってくれるはずです。人間は生き残った精子と卵子がくっついて生まれる。
F.Sゾンネンシュターンが遺した言葉は「死んだら余を起こしてくれ」であった。

1974年池袋西武美術館で大回顧展が実現した。
種村季弘が序文を書き、澁澤龍彦、加山又造、金井美恵子が文章を寄せ、谷川晃一が追悼文を書いた。F.Sゾンネンシュターンはこうも言い遺した。
「余は古今無双の変人なり、代役などいない」誰もが描かなかった、創造と創作は変人と狂人、つまり天才が生んで来た。それが真の芸術の歴史である。
27日(土)ヴァニラ画廊で午後五時よりレセプションパーティーがある。
ぜひのお越しを。(文中敬称略)