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2016年9月26日月曜日

「ワンカップ大関」


力士が丸い土俵の上で勝負する相手は怪我でもある。
どこもかしこもガタガタでボロボロ、もう駄目だ、今度こそ引退だと思うほどの苦難の連続。中継するアナウンサーなら、残った、残った、徳俵に片足一本親指一本で必死に持ち堪えていますとなる。

大相撲は子どもの頃から大好きでずっと観て来た。
最近は大怪我から這い上がって来た力士を追っている。
好きとか嫌いとかでなく、人生の見本、男の見本、ネバーギブアップの見本としてだ。
大相撲の世界は厳しい。
140キロから220キロ近い体重の力士が、思い切り頭と頭でぶつかり合う(小兵力士の里山とか宇良などは太った一般人と変わらない)。

で頭突き、張り手、突っ張り、かち上げなどボクシングや格闘技のようなものになり、赤い血が土俵の上に飛び散る。それ故お清めの塩をまく。
ガバッとつかんで天までとどけとまく力士も入れば、ほんのちょいとつまんでチョボっとまく力士もいる。これを波(浪)の花(華)という。

一場所15日間負け越した力士の番付は下がる。
体中どこも悪い箇所がないという力士は一人もいない。
もしいたとしたら手抜き相撲をしている無気力者だ。
横綱は絶えず優勝争いをすることを求められ、最低でも12勝が義務だ。
それ以下の成績が続けば資格なし、綱の威厳にかかわると引退する。
大関は二場所負け越すとその座から落ちる。
次の場所10勝以上すれば返り咲けるがこれは非常に難しい。

横綱、大関、関脇、小結、前頭、十両までを関取といい、毎月給料がもらえるが、十両の下の幕下、三段目、序二段、序の口の力士は給料をもらえない。
私たちの世界も同じで戦いに勝って行かねば仕事にならず、次の仕事の声が掛からなくなる。業界には目に見えない番付がある。
どの世界も同じで、人一倍、人の何倍も努力した者が、残った残った、残りましたとなる。

大関豪栄道は怪我ばかりを重ね、弱気となり、引き技ばかりをしていた。
いつからかクンロク(96敗)大関、カド番大関と呼ばれていた。
稽古熱心であり稽古場では強かったが、本場所になると逃げ技に頼った。
今場所もカド番であった。
その豪栄道に何かが乗り移ったのか、初日から連戦連勝を続けた。
引くという逃げ技は使わず、ひたすら前へ前へと進んだ。

14日目横綱日馬富士に土俵際まで追い込まれ、首投げでやっと勝った一番以外は正攻法だった。カド番大関の全勝優勝は史上初であり、大阪出身の優勝は86年振りであった。
土俵の側で手を合わせている母親の姿が印象的であった。
敗ける度に笑われ、バカにされ、罵声を浴びた。相撲の神様は怪我にもめげず一生懸命稽古をした力士にひと花を咲かせた。
十両まで落ちた人気力士遠藤は、大怪我をしても決して包帯をしなかった。
再起不能ではと言われたが這い上がり今場所前頭で132敗で最後まで優勝争いをした。

外国人力士の栃ノ心は大怪我をして幕下まで落ちたが、ネバーギブアップで日本人より日本人らしいと言われ、十両優勝を重ね幕内に返り咲き、小結にまで上がった(今場所は負け越し)。
次の大関といわれる高安もやはり大怪我で落ちる所まで落ちてから這い上がった。

豪栄道は先々場所、横綱白鵬との一戦で顔面骨折という大怪我をしたが休場せずに土俵に上がった。そんな姿を相撲の神様は見ていたのだろう。
傷だらけになって生きて行くことを人生という。這い上がった力士たちに乾杯をした。
酒は勿論“ワンカップ大関”だ。

横綱寸前だった大関稀勢の里はクンロクで終り、一から出直しとなった。
強いのにここ一番で弱い力士の典型であった。力水を差し出す相手がカド番クンロク大関豪栄道で、来場所自分に代わって横綱を目指すとは夢にも思っていなかっただろう。
世の中とは皮肉なものである。一寸先に備えて努力を重ねるしかない。

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