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2017年7月19日水曜日

「お母さんの涙」

昨日「母原病」について書いたら、そんなバカなことはない、それじゃ父親には何んの責任もないわけ、変よ全然変よ片手落ちよと知人の奥さんから言われた。
実にまったくその通りなのだが(?)。

幼児期から多感期というよりオギャーと生まれてからずっと子どもは母親の愛を必要とし、愛を求めそれを追う。
残念ながら父親はとりあえず元気に働いて、月々のお金を稼いでくれればいい。
あとはガミガミコマゴマガタガタお説教したり、エラソーにイバリまくらないでほしい。
とこうなる。

母親の体内から出て来た子どもにとって、圧倒的に母親の影響力は強い。
子どもを叱ったり、躾けるのは親の大事な役目であることは言うまでもない。
「子は育てたように育つ」という。私は何人も非行少年、非行少女という烙印を押された子どもたちに会って来た。
子の親から相談を受けて来た。
よく反抗期のないまま育った子は将来が心配だという。少年のころケンカをしたり、親にかくれてお化粧をしたり、喫茶店や神社かなんかに集まって、学校や教師への不満、親兄弟への不満(ブータレル)を言い合うのは自然的行為だ。
それを見つけて、停学とか退学処分にして子どもの将来を奪ってしまう。

ある年ある二日間私は友人の日本テレビのプロデュサーの依頼で横浜の少年鑑別所を早朝(起床)から夜(就寝)まで取材をした。
一つのケースを紹介する。

十四歳の少女は器用に毛糸の編み物をしていた。
それは赤ちゃん用のかわいい靴下だった。少女は妊娠していたのだ。
事件内容はたび重なる非行行為であった。少女は言った。
今度は絶対“年少(ネンショ)”つまり少年院行きだと、又、審判の日お母さんが来てくれて泣いて頼んでくれたらいいんだけど。少女の母親はグータラの亭主をかかえ、昼はパート(アルバイト)で働き、夜は着飾り化粧をし夜の仕事をしていた。少女はお母さん時間ないからなぁ~とさびしく言った。
後日聞いた話によると、審判の日お母さんは家庭裁判所に来て、私が悪かったんです。
きっと私が更生させます。
私の生んだ子ですから、娘のおなかの中の赤ちゃんも娘と一緒にちゃんと育てますと、号泣したという。

少年少女の審判にとって親の涙、とりわけ母親の涙は情状を生む。

少女は保護観察処分となった。取材が終わった日、所長さんは、どっちに行くにも子どもはお母さんなんだよなぁ~と言った。

知人の奥さんとは近々茅ヶ崎の“鳥仁”で話し合うことにした。

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