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2018年3月19日月曜日

「刊」の中の「リ」について



春なのにつるべ落とし、内閣支持率が急落しはじめた。
どうせ日本国民は一ヶ月もすれば忘れるだろう、と思っているかも知れない。
事実に日本国民は忘れることが習性のようなところがある。三権分立すら忘れている。
一つの事が起きると、どこもかしこも一斉にその話題で、ワァーワァーと大騒ぎになる。その昔税務署に徹底的にイジメられた経験がある。解釈の違いが通らない。
まるで刑事かよと思うほど調べられた。
延々と続いたバトルの結果は実にこの国の官僚システムが鉄の規律があるようなことを体験した。
上から下へは絶対の指示である。軍の掟のようでもある。
中国に未だ紙ができていない時代、重要な文書は、竹とか木に書かれた。
消しゴムとか修正液のない時代だから、誤字や修正をする時は、文字を削り落としそこ(改たな?文書を書き書いた?)
出版社から発行するという「刑」の文字に「リ」の部分があるのは、そこから来ているらしい。
刑罪の刑も同じ「リ」の部分があるから公式な文書を勝手に削り落としたり書き換えたりすると、重罪であったはずだ。研究者や評論家、小説家をはじめモノ書きが書いたオリジナルの文章は一言一句、書き手のものであり、出版社は勝手に書き換えたり、削除は許されない。
かつて小説家は文士と言われた。
武士の魂を持っていたのだ。
この頃はこの魂はかなり怪しい。
が現代でも一文字に命をかけている文士もいる。
我が国のNO.1とNO.2が、今、「刑」の対象となっている。
我々は身を削る思いで日々四苦八苦で生きている。
もはや削れるところは骨の髄にもない。政と官が五分と五分で渡り合わなければ、真の国政とは言えない。
政も官も怒れと言いたい。
寛容な国民もいよいよ頭から角が出て来た。
落ちて来たつるべで、アタマを打たれ終わった政権になる時は近い。



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