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2016年9月16日金曜日

「置き薬」




近江商人といえば「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしで有名である。
特長は店に居てお客さんを待つのではなく、いわゆる行商のように日本中に足を運ぶ。

近江商人は手ぶらでは帰って来なかった。
上方の商品を地方へ持ち下り、地方の物産を仕入れて上方へ販売しながら持ち帰る、ノコギリ商いといわれた。この効率の高い商法を“持ち下り商い”ともいわれた。
さらに近江商人は日本中の情報を収集していた。

ユダヤ商法も同じだ。
祖国なきユダヤ人たちは世界中に拡散しながら各国のあらゆる情報を収集、交換し互いに協力し合い財というカタチなき祖国を築いていった。
世界の主要なものはユダヤ人が握っている。
政治、経済、科学、娯楽、報道、スポーツ、何から何まで。
情報戦に勝ち抜いて現在がある。

かつて代々の将軍や権力者たちが近江商人を大事にしたのはいうまでもない。
あそこの殿様は浅学、短気だとか、あの殿様は好色放漫だとか、あの藩のある人物はやがて世に出るとか、あの地方の人間は勤勉にして教育熱心であるとか。
海、山、川、森林、田畑のすみずみまで知り尽くしていたのでその情報を聞いた。
いつの世も生きた情報が何よりの武器となる。IT社会もその延長上にある。
一つでも多く他の地に行き、一人でも多く他の人に会ってこそ成功の果実を味わえる。

商人の世界、ビジネス社会において“果報は寝て待て”は絶対に存在しない。
国を治めるということは、人を治めるということであり、日本は特殊な地形の島国であり、国土のほとんどが山脈という、世界一の山林国家であることを知り尽くさねばならない。空から見れば山が連なり、海に囲まれ、山からは血管のように川が流れる。
その隙間に村や町や街があり都市がある。
日本列島の下には地震帯がビッシリとあり、活火山は生き続ける。

戦国期の大名たちは“悪党”とも呼ばれたが決して乱暴者たちばかりでなかった。
血で血を洗い、領土を奪い合い手にした領土を守るには、治山、治水が何より大事なことを知っていて、ありったけの知恵を絞っていった。

さて、現在はどうであろうか、治山、治水、災害対策に与野党はない。
超党派で行動してほしいと願う。大地震、大火災、大津波、大洪水、大噴火、山崩れ、土砂崩れの連続から国や国民を守る知恵を出し合ってほしい。
むかし富山の薬売りの人が定期的に家に来た。置き薬というもので、薬売りの人が来ると薬箱を出す、そうすると“熊の胆”が減ってますねとか、虫下し◯×丸とか△□頭痛薬も減ってますと言って減った分を加えて帰る。加えた分だけお金を払うというシステムだった。

富山の薬売りの人は一軒一軒の家族構成、経済状況、健康情報を持って帰る事ができた。富山の薬売りの人が来てアメ玉なんかくれた。縁側に座りいろんな話をしてくれたのを思い出した。何故か“熊の胆”という小さくて黒く四角い胃薬を憶えている。

イケナイことをしなくなる薬はないだろうか、富山の市議会議員の面々はあったら飲んで治せ。

2016年9月15日木曜日

「怒りとは」

※映画.comより



人間は神が造った悪魔でもある。
その仕業が世田谷一家殺害事件。
外国人英語教師リンゼイさんを殺して逃亡した市橋達也の事件。
残酷な未解決事件と、顔を整形し続け無人島に隠れていた事件。
やはり殺人を犯したあと整形をしながら逃亡し、時効寸前で逮捕された福田和子の事件。
市橋達也は現在刑務所であり、福田和子は数年前獄死(病死)した。

作家吉田修一はこれらの事件をモチーフにして(と思う)「怒り」という小説を書いた。それを映画化した作品が十七日土曜日に封切りされる。
大ヒットした「悪人」のスタッフが李相日監督のもとに集結した。

父と娘の愛、男と男の愛、女と男の愛。
運命的出会い、行きずりの出会い、禁断の出会い。
人間の殺意は何時どこで生まれるのか、絶望的な愛に潜む心とは、怒りとは何か。

吉田修一原作を李相日監督はどんな感性の刃で切り取り、突き刺し、血を流すのか。
渡辺謙、妻夫木聡、綾野剛、宮崎あおい、松山ケンイチ、森山未來、池脇千鶴たちがその役に挑む。音楽は坂本龍一、世界的チェリストが主題曲を流す。
私はこういうダークな文学的映画が好みである。

ある年、江戸の儒学者佐藤一斎の「言志四録」からの言葉を大先輩から送られたことがある。突然襲われた極度の不眠、鬱々とした日々、体に鉛がどん詰まっているようなダル重さ。頭の中には暗雲たちこめている。
一センチ動くのも辛いのだが、プロとして受けた仕事はやらねばならない。

そんな日々を送っていた時、我が家のポストに一枚の葉書があった。
特大の太い緑色の文字で「暗夜を憂うことなかれ、ただ一灯を頼め」(言志四録)と葉書いっぱいに書いてあった。その言葉は今も私の宝であり続けている。
「ただ一灯」が何かは奥深く、未だ分からない。

「怒り」という映画にただ一灯はあるのだろうか。
人間の心という暗闇に一条の光は差し込むのであろうか。

姉が弟をバラバラに、アパートで一家三人が惨殺、事実は小説より奇なりの事件が連日起きている。テレビのニュースを見ながら身内同士のすごい事件が起きているなと言ったら「積もり積もったことがあったのよ」とポツンと目の前の人間が言った。
ドキッとした。

十七日(日)午後一時から築地本願寺の劇場で友人が新作を上演する。
それを見終わったら「怒り」を観たいと思っている。(文中敬称略)

2016年9月14日水曜日

「君の名は、小かき揚げ丼」




私の最大の弱点(ゴマンとあるが)は、マンガ、劇画、アニメの世界に弱い。
メカにもウルトラ弱いのでその世界の情報は、赤銅鈴之助とかゴルゴ13、柔道一直線、無用ノ介、あしたのジョー位しかない。

昨夜親愛なる兄弟分が「君の名は。」を観ろよと言った。
前夜「シン・ゴジラ」をみんなが観て面白いというので、日劇の最終回で観たのでその感想を話していた。

“君の名はとたずねし人あり、その人の名は”の名セリフの映画「君の名は」の名が出た。
リバイバルかと聞いたら、アニメ映画で大ヒット中という。
へぇ〜そうなのか、映画題名には著作権はないはずだから同名OKなのだ。
確か歌の題名に映画の題名を使ってもOKだった。
“忘却とは忘れる事なり、忘却を知る心のさびしさよ”岸恵子がマチコ、佐田啓二がハルキであった。

で、兄弟分によく知ってるな、そんなアニメを見てるのかよと言った。
彼には恋する年代の愛娘がいるからきっとその影響のはずだ。
そうでないとキモチワルイおじさんになる。
ダメだな〜アニメを見なきゃと言われたもんだ。

今日エグザイルだか三代目だかのグループのコンサートチケットを私の娘から何とか手に入れてとせがまれていたのだが、即時ソウルドアウトでファンクラブに入っていても手に入らない。会社の凄腕女史をもってしてもダメであった。
こんな時は兄弟分だ、何とかならないかと二ヶ月位前からお願いをしていた。
ダメだよ、無理、その手の相談は断ってんのと言われたが、そこを何とかと食い下がった。

モシモシ、オレ◯△□、入ったよ二枚九月十四日のがと連絡が入ったので思い切りアリガトサン。何とか面目が保てた(?)ごていねいに今日午後五時東京ドーム会場入口関係者席までチケットを持って来てくれる。
娘にどこかの組の組長みたいだから直ぐ分かるよと電話した。
えー恐い人って言うから、日本で一番大きな広告代理店でキャスティングのボスをしていたから見た目は恐いけど優しいよ、それに中学時代の同級生だからと言った。
コンサートのチケットは今回きりと約束をした。

「シン・ゴジラ」は、政治風刺劇の大作であり、自衛隊PRの大作でもあった(全面協力)。災害大国日本への警告、北朝鮮のノドンやテポドンなどによる攻撃への備え方教室でもあった。ラドンが出ないのが残念であった。

私が大尊敬する監督からこれと匹敵するシナリオを受け取っているのだが、映画会社の人間に見せたら数十億の製作費がかかると言われた。
病と格闘している監督に空母や巡洋艦や戦車など、鉄という鉄を腹を減らした人間たちが食べまくっていく大スペクタクルを作らせてあげたいと思った。

ポンと50億円出す太っ腹の人いないかと日劇をあとにしながら思い、有楽町ガード下「天米」で小かき揚げ丼を食べて帰った。

2016年9月13日火曜日

「踏み倒し」


私の両親は岡山県出身である。
一般距離だと東京から岡山ICまで637キロのところにある。

この岡山にタクシーに乗って料金を支払わなかった男がいた。
高いのかはたまた意外と安いのかその額217410円、運賃と高速道路の通行料金の合計で。男は所持金300円であった。

自称無職49才の男は10日午前540分頃、東京都大田区内の路上でタクシーに乗った。
岡山県赤磐市まで帰省するのでと言って乗ったのだ。
料金は友人が払ってくれるのでと言って乗り込んだ。
タクシーの運転手さんにとってロングのお客は待ってましただが、これほどの超ロングとなるといかなる心境だったのだろうか。
二人は637キロの間にどんな会話をしていたのだろうか。

12時間後位に目的地に着いたが友人宅は目的地になかった。
運転手さんが交番に行き友人宅を訪ねたのだが不審に思い警察署員が友人を探し連絡したのだが、その男とは高校卒業以来音信不通と返答した。
で、無賃乗車と判断午後11時過ぎ詐欺容疑で逮捕となった。
以上日刊スポーツ紙の記事から抜粋して書いた(9/12売)。

いわゆる踏み倒しという運転手さんにとってはとんでもない乗客であった。
これは想像だが途中のサービスエリアで、天ぷらそばとかチャーシューメンや、カツカレーとかフランクフルトソーセージなんかを人の好い運転手さんは奢ってあげたかもしれない。男がトイレなんかに入ったらきっと見張っていたのだろう。
タクシーが個人だったとか、タクシー会社のであったかは書いていなかった。
運転手さんが激怒したのか、どっと疲れてへなへなとなったかも書いていなかった。

この様なケースの場合運転手さんの売り上げはどうなるのだろうか。
もし運転手さんの自己負担だとしたら、どんなお人好しの運転手さんでも怒髪天を突くだろう。東京まで空車で帰る637キロは運転手さんにとって1000キロ以上の長さに感じたことだろう。
男が岡山県人のようなので私としては心より申し訳なく思うのだ。
運転手さんが分かったら今度倉敷まで乗ってあげようかなどとは…。

近々広島にロケに行くのだが広島までならどれ位かかるのだろうか。
ずーっとむかし高校生の娘たちが東京から広島までタクシーに乗って踏み倒した事件を思い出した。確かその時運転手のおじさんにタコ焼きも奢ってもらったとか言っていた。
記憶は定かではない。ちなみに柔道や相撲の技や決まり手に踏み倒しはない。

2016年9月9日金曜日

「結婚考その二」




電気スタンドというのは実に気分を演出してくれる。
一ヶ月ほど前に届いた1200円ほどの電気スタンドを使いうつ伏せになって文字を書いていると、何やら物書き的になる。
小さな灯りが原稿用紙だけを照らしてくれるからだ。
実は腰が酷く痛いのでうつ伏せが楽なのだ。

前回に続き「結婚考」について。
少子高齢化社会を救うには若い人たちが結婚してたくさん子どもを作ってもらうしかない。結婚大歓迎なのだ。

政府は結婚援助金とか新婚支援金、新家庭住宅補助金とかを考えていかねばならないのに何もしない。
新生児おめでとう御祝支援、第二児誕生よく生んだ支援、第三児えらいぞ支援、第四児、第五児、そして第六児になると生活費50OFFのようにしなければ子は増えない。
戦費ばかりが増えて五年連続五兆円超えだ。少し減らせば子づくりに使えるのだ。
政治家は本来ボランティアの仕事、給与を減らして選挙活動にお金がかからないシステムにする。
今よりずーっと貧しかったこの国には、十一人家族、十人九人家族、五・六人家族は当たり前だった。ちなみに私は六人家族の六番目。
♪〜僕の髪が 肩まで伸びて 君と同じになったら 約束どおり 町の教会で 結婚しようよ…なんて吉田拓郎の名曲があったが、少し髪が伸びた位で結婚しようよだ。

新婚家庭の電気スタンドの灯りは少々妖しい雰囲気を演出する。
旅館やホテルの電気スタンドの灯りもまた胸震わすものとなる。
なすべきか、なさざるべきか、それが疑問だ。なんて気分だ。
何やってんのよここまで来て意気地なし、帰るわなんて言われて心は乱れ、頭の中では結婚資金や自らの生活能力を計算するのだ。
あー駄目だ×万円足らない、なんて事になるのも多いはずだ。やっぱり帰ろうなんて。
今頃の若い人は家計簿感覚が優れているのだ。

結婚は最大の節約術だよ、何しろみんなシェアできるのだから。
一人じゃ食えんが二人なら食えるというのは江戸のむかしから伝わる教えなのだ。
若い男はもっと本能的に行動せよ、ひるむな、逃げるな、女体の魅力に溺れよだ。

オイ、部屋の電気を消すぞ、早くこっちへ来いよ、なんて電気スタンドのこぼれ灯の中で意を決してほしいのだ。ハイ、ワタシアナタニズットツイテイキマス、ドウニデモシテクダサイ、なんてことになるやもしれない。
イイワネ、イイトコマデイッタラゼッタイケッコンシテヨ、年老いたオトーサン、オカーサンの面倒は嫌よ、早く部屋の電気消してスタンドだけにして。
なんてことにもなる。がんばれ若者よ。