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2017年12月6日水曜日

「ローストビーフ」

記念すべきパーティーを取り仕切るというのは、その大・中・小に限らず大変疲れきるものである。
例えば10人、20人、30人の結婚披露宴としても、その席順は、偉そうな人はどこから来てくれたのか、御車代は、あるいわご宿泊代は、もしお子さん連れだとしたら、更にそのお子さんが赤ちゃんだとしたら、足の不自由なご老人が車椅子で来たら、料理にお酒は。そして引き出物は、司会は誰に、プロに頼んだらそのギャラは、これが300人、500人となると、とてもじゃないが一人では無理となる。大人数だと結婚式場との打ち合わせが何回かある。がどこまでも心配事は尽きない。二時間半から三時間いかに楽しく、明るくほがらかに。
お料理はご満足でしょうかとなり、ビールにワイン(ウルサイヒトがいる)日本酒は(甘口、辛口を用意)大丈夫か、少し酒が効いてきた人の中には、ローストビーフがないのかと、伊勢エビはどうしたとか言う。(立食パーティーにローストビーフがないと文句が多いらしい)その内に頼んでもないのに手品をやらせろとか、長々と高砂をやるとか、詩吟かなんかをする人も出る。こうなると予定は狂いパーティーの進行はハチャメチャになる。
スピーチを頼んでおきながら(?)いつまで待たせんだ、何!忘れてた、ふざけんじゃないと故野坂昭如先生が壇上に上がり、故大島渚監督にパンチを食らわした。あの有名な記念パーティーみたいになる。パンチといえば世界スーパーフェザー級チャンピオン内山高志選手だ。12月4日その引退記念パーティーは、1000人以上集まった。私がお世話になっている会社のオーナーはじめ社長以下スタッフが見事にこのパーティーを仕切っていた。
何にしろスポーツ界は勿論、各界の著名人、芸能界、歴代の世界チャンピオンが勢揃いであった。フツーのパーティーは、さあお食事をとなり小一時間もすると、ゾロゾロと帰り始める、だが、いい頃合いを見てラップ界のスターが泣けるような曲を絶叫する。
やったあ~、あったと一緒に行った六人の友人が、ローストビーフを大皿に、カツサンド、ハムにソーセージ、お寿しにカラ揚げ、パスタなどなどを持って来てくれた。やっぱりローストビーフは行列でしたと言った。それから一時間半が経ち、ソロソロ帰ろうかと思ったら、太田裕美さんが赤いタータンチックのスカートに赤いニットみたいな服を着て、懐かしの大ヒット曲『木綿のハンカチーフ』を唄い出した。
次々と憎い演出であったので人の数はそれほど少なくはならない。
いままでたくさんのパーティーに出席したが、さすが気配りの人が仕切った見事なパーティーだった。(お世辞でなく)
私も何度か、大・中・小のパーティーを仕切った経験があるが、すべてが終った後の疲労感と言ったら、例えようがない。何かを食べる気力も失いヘトヘトと家に帰り、永谷園のお茶漬けで十分となる。
ところでローストビーフは(?)実は食べ損ねてしまった。誰だ食べたのは。

2017年12月5日火曜日

「カキ食えば」



牡蠣(カキ・イボタガキ科の貝である。OYSTERと言う。)
今が季節の真最中。日本人は何でもでかいことがいいと思っている。
銀座コリドー街に美登利と言うお寿し屋さんがあって、朝早くから人が並んでいる。お寿しが決して旨い!訳ではない。ネタがでかいのだ。穴子一本がシャリの上にヘビみたにのっている。マグロはシャリの上にでかいへの字としてある。遥か地方から来て並んでいる。本当の江戸前寿しはとても小さく握る。名店は小さい。名人が握ると、握った寿しを置いた時、シャリが少し動く。でっかいところは、ギューギューに握っているのが多い。
米粒と米粒の間にビミョーなスキ間がない。人形町に三友というとんかつ屋さんがある。
この時期バカでかいカキフライ定食2個1080円を出す。限定である。一つのカキフライにカキ五、六個が入っている。ニューヨークのセンターステーション内に有名なオイスターレストランがある。
ここでは日本的でっかいカキは、ランク外というかメニューにない。
ニューヨークのカキは五百円玉より少し大きい円形のものが、ベリーグッドとなる。クラッシュ氷のでっかい上に円形のカキがビューティフルに何重にもおかれて出て来る。私ははじめて行った時、なんだよこんなちいさいカキしかないの、広島のカキみたいの出してよと言って、大失笑された。ブヨヨンとした内蔵的大きなカキがカキと思っていたからだ。ニューオリンズで、友人の写真家がカキを山ほど食べて死にそうになった。
上から下から出るものはすべて出て九死に一生を得た。ホテルの廊下を下痢でピーピーになって、出すものをたれ流しながら、HELP、HELPを声も切れぎれに発した。
二度とカキは食べないと思ったが、カキ大好きで人形町三友のバカデカ、カキフライに行列すると言う。カキで死んだら本望なんて言う。カキの串焼きを一度食したが、これは最高であった。
ずっとむかし写真家浅井慎平さんに連れて行ってもらった。私はカキ大好き人間、カキ入りカレーも旨い。カキとホーレン草炒め、カキ南そばも旨いがやっぱ生ガキがいちばんだ。
昨日深夜カキゴッソリ入りうどんを食べた。生死をかけて食べた。”カキ食えば鐘は鳴らない法降寺”

2017年12月4日月曜日

12月4日「内山高志引退記念パーティー」



このご案内の中で、私たちはあえて感動をありがとうとか、よくがんばったとかは申しません。
どうか会場にお越しになって直接本人に声をかけてください。私たちが熱い声援を送ったのは、見事なまでにスポーツマンシップを持った一人の男でした。ボクシングは、キング・オブ・スポーツ「聖なるスポーツ」と呼ばれて来ました。私たちにとって内山高志という男は、聖なる男だったのです。いかなる相手に対しても礼を尽くしました。いかなる強敵を倒した時も決してリングの上を駆け回り雄叫びをあげることもありませんでした。敬意を持って相手コーナーに行きました。内山高志はリング上で歓喜と不服を表さなかった稀有のボクサーであったのです。その内山高志がリングを去りました。次なる人生のゴングが鳴ったのです。リングで戦うボクサーにとってセコンドは命の綱です。
これから上がる人生というリングは12ラウンドで終わることはありません。ずっと続く戦いです。どうか皆様におかれましたは、選手時代にも増しての、ご協力とご声援を、ご指導とご鞭撻を心よりお願いお願い申し上げる次第です。
毎年十二月といえば、内山高志のリング上の勇勢に声援を送るのが恒例でしたが、今年の十二月はスーツ姿の一人の男が皆様の前に立ち上がります。少し、はにかんだ内山高志の笑顔が人生という強敵に向っても絶えることのないよう、ご声援を送ってください。師走のご多忙の中とは承知しておりますが、何とぞご出席を賜りたくご案内申し上げます。
末尾ながら皆様の益々のご健勝とご発展を心より念じております。何とぞ良いお年をお迎えください。

今夜、私はこのパーティーに友人たちと出席する。大変名誉なことに、この案内状を書かせていただいた。皆さまにもお願いしたい。今後共内山高志選手を応援して下さい。いつか指導者になるかも知れません。人間形成にボクシングは最高のスポーツです。


2017年12月1日金曜日

「格と礼儀」


これは映画の取材で聞いたことですよ(?)ヤクザ者の世界に例えると、親方は親分。
横綱は親分とほぼ同格、相撲の世界では「神」である。ヤクザ者の上下関係は相撲の番付と同じで厳しい。礼儀作法を一歩間違えると、とんでもないことになる。
目玉は潰れ、歯はほぼなくなり、鼻骨は折れ、肋骨はボロボロになり、金ん玉は数倍にふくれ上がり、小指はなくなり、左腕がなくなり、全裸にされて鉄条縄でグルグルにされ川や池や、湾に放り込まれる。オロク(死ぬこと)になると、山に捨てられ、又は埋められる。あるいわコンクリートで埋められ沈められる。ビール瓶でアタマを割られるなんていうのは、やさしいもんだ。飲んでいる店の床に正座させられて、バッコン、ボッコンにされる。
では、どんな時にか、返事が遅い、タバコに火をつけるのが遅い、ヤクザ者は”ロトイ(トロイ)”奴を嫌う。ビールをこぼす、説教をすると頭を下げずにガンをトバス(ニラミつける)。更に両足でカタカタ貧乏ゆすりをする。不平、不満を口にする。頭を左右に動かす、詫びを入れない。仲間のせいにする。
まして説教中に、もう時代が変わったんですよと言いながらスマホなんか見ていたら100%この世の終りとなる。暴力団の世界は暴力でしか解決しない。(あるいは大金)、(あるいは体)ヤクザ者は警察に被害届なんて出せない。警察もヤクザ者が半死半生で逃げて来ても、何の事件にもならないので、とり合えず帰れ、帰れとなる。死ぬと殺人事件となり、かなり点数を稼げるので少しヤル気を出す。横綱白鵬が説教したら前頭の貴ノ岩が、ニラミ返した、その上スマホを見ていた。相撲界は番付一つでも大差がある。
まして横綱と前頭が一緒に飲むなんて、10年早いと言われる世界だ。
暴力は絶対にいけないが、暴力を受ける方も絶対いけないことをしては、イケナイのだ。日馬富士の引退は当然だろう。大好きだったがジ・エンドだ。親方である伊勢ヶ浜がメソメソ泣いてはイケナイ。
貴乃花親方は相撲界の人間としての基本的認識がない。ハナから警察沙汰を考えていた。そもそも60場所の内、54場所が日本人以外の優勝だ。国技とは何かをこの期にしっかり考えねばならない。
貴乃花が足の怪我をしながら武蔵丸と優勝争いをした時は、武蔵丸は決して足を攻めず、下手な芸居で投げつけられた。
鬼の形相をした貴乃花に、時の総理大臣小泉純一郎は、よくやった!感動した!と叫んだ、が私的に言えば典型的片八百長だ。武蔵丸はつらかったはずだ。ともあれビールは飲むもので頭を殴るものでなく、カラオケのマイクは唄うものであって頭を殴るものではない。相撲界のヤキは大したことはない。
やっぱり、ヤクザ者の暴力ほどオドロシイものはない。暴力反対!と声を大にして言っておこう。
今日からいよいよ12月だ。礼義正しくあらねばならない大事な師走である。昨日は”三の酉”くれぐれも火の用心を。

2017年11月29日水曜日

「ヨージに用事」

Oh! No!脳が目玉みたいに疲れたのか、カバンにお金を入れたと思ったら、家の違うカバンに入れてあって冷汗をかいた。
知人の女性編集者から、青山のY’Sヨージ・ヤマモトのバーゲンがあるから一緒に行きましょと電話が入った。一日限りなのですごく混むから朝十時にとのこと、で、会社の女子デザイナーに、ヨージに用事とばかりに朝九時五十分頃行ったらヨージに用事を頼まれたトラックばかり、送ってもらったFAXをよく見ると11/22つまり次の日であった。
ゴメン、ゴメンと言うと女子デザイナーも見間違っていた。銀座に戻り和光の2階で早めのランチ、編集者に電話すると、ゴメンナサイ一日間違えて言ってしまったと、シマッタさんであった。
FAXの文字がチンコイのであった。熱海行の嫌な列車に乗ってシマッタ。JR東海道線がグリーン車に乗ろうキャンペーンみたいなのをやっていてポスターがあった。
キャッチフレーズが、グリーン車に乗ろう、熱海行グリーン車は温泉旅行だ。みたいなでかい文字、貴乃花と貴ノ岩はどうしたかを読むべしとグリーン車に乗ると、直ぐにグリーン券を拝見と、座ったらすぐに女性乗務員が来た。やけに早いなと思いながらポッケの中を探しても、探しても券がない。
ちょっと待ってよく探すからと言うと、それじゃ又来ますと前の方へ、全然出て来ないでいると、ちゃんと又来た。立っている方がいますのでグリーン券を買うか、普通車に乗り替えて下さいとなった。
なんだい、なんだいどこへいっちまったと探してもやはりグリーン券はない。
仕方ねぇ買うよと言って割り高の券を買った。車内は当然温泉旅行風。“イカのゲソ揚げ”をつま味にビールを飲んでいるのが、猛烈に臭い。
ゲソパン(足げり)を入れてやろうかと思ったが、弱々しそうなのでやめた。家に帰り一枚二枚と服を脱ぎ冬はこれだから嫌だなと思いつつ黒いジーンズを脱ぐとハラリ、ポトリとグリーン券が床に落ちた。
どうなっていたのか分からない。明日木曜日は早朝より出張のため休筆する。
みんなの待ち合わせ場所は、東京駅内「銀の鈴」だ。遅刻はしないように映画を見て起きていようとする。深夜コンビニに行ってエビマカロニグラタンを買ってレジへ。
「王(ワン)」さんがチンしますかと言うので、Oh!Yes!コゲ目つく位にヨロシクと頼んだ。


2017年11月28日火曜日

「一杯のクリームシチューとあゝ、荒野」


十一月二十六日(日)~二十七日(月)広島へ行って来た。
少しばかりお手伝いをした。「ひろしま さとやま未来博」の最終日のイベントを見るためにである。
いろいろがんばってくれた後輩のアートディレクター三宅宇太郎君と共に。
日曜日眠らずにフランス対日本のラグビーの試合をテレビの生中継で見てから、シャワーを浴び朝刊をバックに入れて茅ヶ崎駅へ、小田原まで東海道線に乗る。
予定より三十分近く早く着いたので、名物の駅弁「こゆるぎ」を買っておく980円。
朝食を食べる習慣がないが何故か駅弁には心が動く。

午後一時二十分頃に、ソトコト編集長「指出一正」さんと、地域発展のためのプロデューサーで有名な「山崎亮」さんのトークショーがある。
それに間に合わせるためにいざ出発だ。
名古屋で乗り換えて広島へ。三宅君は新横浜から乗って来るので広島駅で待ち合わせ。
四十分ほど私の方が早く着いた。
駅構内のコーヒー店で待つ。で、二人揃って会場の広い広い公園へ。
入り口に制作した三点のポスターがイーゼルに大切にのせられて迎えてくれた。
ポスターの前で記念写真を撮っている人がいる。
うれしいね、このために寝ないで来たとも言える。
「横浪修」さんの写真のピュアさが外で見ると余計にgoodだ。
ソトコトの大石女史が笑顔で近寄って来る。
ドーモドーモとしていると、やはりソトコトのスタッフ、スティーブさんがカメラを持ってニコニコ笑って来た。

出店がいっぱい出ていて親子でたくさんの人出。
大きなステージの前はギッシリの男たち、AKBみたいな女子13歳~19歳の人気者が一曲唄うとか。
ステージに少女たちが現れ自己紹介するたびに異様な大声援であった。

ラーメン、お好み焼き、イワナ(?)の塩焼き、何十種類の出店があったが、夜にカキを食べようと決めていたのですべてパス。
やけに寒いのでビールもパス。
日本酒を探したが見つからなかった。

少女たちのコーラスの前、ステージに大拍手と共に指出さんと山崎さん、さすがに現代の日本を代表する二人のトークショーはとても勉強になる話であった。
後に人気者が控えているのでトークショーは予定時間ピタリで終った。指出さんが山崎さんを紹介してくれた。いつか一緒に仕事がしたい人だ。
酒も飲み交わしたい。

三宅君が寒いからこれどうぞと一杯100円のクリームシチュー。
加計××高校の女子生徒たちがつくっていて人気絶頂、行列ができていた。
列車の中でずっとウトウトしていたが、グッスリとはいかなかった。がクリームシチューで体がホコホコして来たら、一気に眠気が襲って来て危うく椅子から倒れて落ちそうになった。

今夜はどこに泊まるのと聞いたら、あそこのAPAホテルですと三宅君は言った。
これが新築で一泊一人キングサイズベットで5500円とチョイと、ビンゴであった。次の日朝、私はすぐに帰途についたが、三宅君は宮島まで行き、厳島神社に参りとても良かったと東京に着いてから電話をくれた。
いい仕事を文句も言わずによくやってくれた御礼だ。
地元の有名店の生カキ、カキフライ、カキのどて鍋より、100円のクリームシチューが美味しかった。

夕方四時頃帰宅し十一時頃まであるプレゼン用映像のシナリオを書き。
その後レンタルして来た、寺山修司原作の映画「ゝ、荒野」を一気に見た。
寺山修司が愛したボクシングを通しての人間ドラマ。
前、後編で約五時半の力作であった。「菅田将暉」という役者は間違いなく稀有の天才だ。
「でんでん」と「ユースケ・サンタマリア」も抜群によかった。
監督岸善幸この人もすばらしい。

気がつくとすっかり夜が明けていた。

ボクシングはウラミもツラミもない相手を、殺してやると思った方が勝つ。
合法的に殴り殺せるスポーツなのだ。
それ故キング・オブ・スポーツと言われる。アノヤローブチ殺してやる。
そんな奴がいる。
だが私の拳にグローブはついてない。
勿論私のことをブチ殺したいと思っている人は多い。


2017年11月24日金曜日

「がんばれ新人」



昨日の勤労感謝の日は、雨がバシャバシャであった。
小さな池の中の赤い金魚12匹は、雨が大好きなのでみんなハシャギまくって狭い水の中を泳いでいた。その前日人身事故があり九時半発(二十一時三十分発)湘南ライナーは運転中止、東海道線も横須賀線もストップしていた。九時頃起きたので当分動きませんとの放送。こればかりは仕方ない。
それにしても人身事故が多いのが辛い。買ったキップを清算してもらって外へ出た。八重州中央口である。仕事仲間と赤坂のそば屋で打ち合わせをした時、赤貝のぬたと湯豆腐少々、玉子焼き一切れと日本酒を二合飲んで、シメにざるそばをすすった。この日の昼はお客さんと鍋焼きうどんであったので、そば屋さんDAYであった。
で、八重洲口交差点を渡り、赤堤灯の中へ入った。すぐに寿し屋さんがあったのでここでいいやとなり、入った。一貫100円とか150円とか200円と親切に書いた看板が目の前にズラリとあった。

腹はそれほど減っていない、四十歳位のイキのいい寿し職人が、あたたかいおしぼりを出しながら、何をいきやしょ、とか言ったので、コハダ、ヒモを軍艦で、イカのゲソも軍艦と行き、白身のブリを頼んだ。次にこんな珍事が起きた。私は、お茶とお椀を頼んだ。
二十代ソコソコ位の若い衆は、お盆にお茶と黒いお椀を持って来て、ヘイとばかりその二つを置いた。私は何を疑うことなくまずお茶をグイッと飲んだ。
お椀を見ると黒いので、これは海苔の入ったお椀だなと思い、ジッとそれを見ると、中身が何も入っていない。
確かにお椀だが、入れ物だけ、四十代にヨオッ中身がないぞと言ったら、お椀だけを見て、オ、オ、オイ何やってんだ。と言いながらス、ス、スイマセンと腹を抱えて笑い出し、それが止まらずしゃがみ込んでしまった。
それを見た隣の寿し職人が、もらい笑いをして止まらなくなった。お客まで笑い出した。若い衆がスイマセンとシジミ汁を持って来たので、大丈夫キミは大物になる、間違いなく一流になるよと言って励ました。長い間日本中の寿し屋さんに入ったが、初めての経験であった。勘定を払い、がんばれよと手を振って店を出た。四十代の職人はまだ笑っていた。列車は動き始めただろうかと駅に向かったのだが。
来週月曜日は出張のため休筆します。


※写真はイメージです。


2017年11月22日水曜日

「オルハショップ」


映画を観る(映画館で)又は見る(レンタルDVDで)その楽しみは映像を追うのは当然だが、やはりそのセリフにある。どんな映画の中にもいいセリフがある。
翻訳家の腕の見せどころだ。この映画は全然ヒットしなかったが、このワンフレーズは教訓としている。2016年米英合作、「ベストセラー編集者パーキンズに捧ぐ」主演ニコール・キッドマン、ジュードロウ。
世界恐慌時代1930年代、一人の敏腕編集者が無名の作家に目を留める。契約して出版すると、読み通りベストセラーとなる。次回作が持ち込まれると一部が気に入らず削除を指示する、ベストセラー作家となり天狗となった作家は激しく抵抗する。が渋々修正した本は、更にベストセラーとなる。
こうなるともうやりたい放題となり、遊びまくりとなる。
(日本人作家にも多い)美人の妻を放ったらかして黒人の娼婦とも遊ぶ。
妻はんでやるとなる。傲慢を極め遂には文豪スコット・フィッツジェルランドを愚弄する。
その時スコット・フィッツジェラルドが戒めた言葉がよかった。「いつかは成功に見放される、そうなると道は長いぞ」本作品は実話を基にしている。
昨夜遅く帰宅し駅で買った愛読紙「日刊ゲンダイ」にこの映画が紹介されていた。このブログはかなり引用している。イラスト/文=クロキタダユキさんであった。
劇中の好きなフレーズを書いたノートを探しその中にやっぱり書いてあった。
そこには教訓にすべしとも書いてあった。2016年の頃敬愛する小学校時代の学友が、E・ヘミングウェイとスコット・フィッツジェラルドを研究しており、二人の友情あふれる書簡を翻訳したものを送ってくれたからだ。
それまでは、エラ・フィッツジェラルドという黒人女性歌手の名しか知らなかった。それから始めて「華麗なるギャッツビー」の原作者であることを知った。
レンタルDVDで見た時に、オッ、スコット・フィッツジェラルドが出たと思いその中で戒めのフレーズを見て、リモコンをストップしてメモをし、後日ノートに書き移した。成功の下に長くとどまるべからずという。人間成功したと思ったらオシマイ。日々挑戦をし失敗をしていれば、いつか成功に会える。今日はどうヒマツブシをするか、定期預金に残はたんまりある。もう働きたくない。人間関係にうんざりだと決め込むと、不幸が音を立てて襲って来る。そもそも不幸に立ち向かっていれば、不幸は気にならない。
人は私にこう言う、いい歳してがんばっているのは何で(?)人に迷惑をかなりかけてんだぞと。
私は応えるそれは生き残るため、そしてもっと四苦八苦して成功者を生むんだと。一度しかない人生なんだから、楽して生きようなどとは絶対に思わない。
11月26日は「ひろしまさとやま未来博」の最終イベントの日、がんばって日帰りだ。キラリト・ギンザ三階「オルハショップ」の売り場が魅力的になっている。
ぜひ行ってみて下さい。ある相乗効果に出会えます。
冬はやっぱりグースダウンなのだ。「睡眠負債」を抱えると、ボケてビョーキになる。
美人は不美人になる。


2017年11月21日火曜日

「退化」


進化、便利、進化、便利、進化、便利、進化、便利、進化、便利、進化、便利、進化、便利。何を聞いても分からない。知ろうとしないからもっと分からない。
過ぎたるは及ばざるがごとしだ。
ネット社会は人間を急速に退化させている。
私はこれを「退化の改新」と言う。人間は全然進歩していないのに気付かなければならない。ネットが進化しているだけなのだ。勿論それを行っているのは人間だが、進化、便利の先にあるのは、人間崩壊なのは間違いない。人間と人間は信じ合わなくなる。家族間は不信の渦となる。
最も大事な教育の現場は、日々の重労働でストレスをためた教師たちの墓場となる。私は思うメカの進化は真空管がトランジスタに大変化した位で止めておければよかったと。
天才中野裕之監督クラスだけが使って行けばいいのだと。
安ホテルの一室で次の日(本日朝)のために、私は自分のアタマで誰も考えなかったことを考えている。進化と便利。何とかホドホドにならないだろうか。
バク天するロボットの映像を見てヒトの終わりを感じた。
生活の進化と人間性の退化が、これからの国家の在り方を決めて行く。男と女の秘め事は文学におけるいちばんのモチーフだったが、それはもうありえない。かくして文学は退化してしまった。
失楽園は生まれず、“後楽怨となる。やけに腹が減ったのでコンビニに行って、イクラとシャケのおにぎりを買って来て食べた。



※写真はイメージです。

2017年11月20日月曜日

「ジャングルの中」

週末から月曜日午後十時四十八分〇三秒まで、急ぎの仕事を家に持ち帰りその企画書作りをした。
と言っても映画や、取り寄せておいた見落とし番組のDVDや、テレビを見ながらである。見ながらとか落語を聴きながらとかであるから極めて能率は悪い、が考えながら次々と思考を変えれる。
手もとにリモコンを置いて、オッと思うところは停止させたり、もう一度見直すために前へ戻るができる。
つまらないからと思うと、気に入ったCDで音楽を聴く。
基本的にはせっかく借りて来たものは最後まで見る。
英語の言葉を考え出したくてコンサイス英和辞典をめくると、まずこの紙の薄さと強さのすごさに改めてオドロク、そして英語の試験でいつも100点をとっていた人たちが、この辞書を丸暗記していたんだなとオドロク。
世の中には、二カ国語なんか当たり前で三ヶ国や五カ国を平気で話す人がいるというから、人間の脳は無限だ。
ただし才能は人を選ぶので、私は日本語もよく分からない。
つまり選ばれし者ではなかった。英米文学、仏文学、中国やロシア文学者、原書で読んでいる人はきっとキャラメルなめたり、グミかなんか食べながら平然としているのだろう。
一度ギリシャ神話の原書(でかくてぶ厚くて持てない)を読んでいる老人を神田のブックcaféで見たが、別にどうってことない人で、頭の大きさも私なんかよりずっと小さかった。
中味が違うのだな、中味が。見た中の映画で「彷徨える河」というのが最高によかった。コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチンの合作映画だ。
南米のコロンビアかペルーだかのジャングルに二人の白人学者が、別々に現地人をガイドに雇って、聖なる植物を求めてカヌーで河を彷徨する。
モノクロームの写真はどのショットもたまらなく美しくてすばらしい。ケータイも、スマホも、パソコンも、ゲームもない。あるのは古代からの教えだ。三人の現地人が話す言葉は一言一言が哲学的である。現代人はこのジャングルの中でゴムの木を見つけ、やがて農場主たちが現地人たちをこき使い、そして殺してしまった。ゴムで財を成した人間たちの残酷な原点がこの河とジャングルにある。現地人三人は神々しい。レビー・ストローフの名著「悲しき熱帯」の世界がここにあった。一つの人類がやがて習性を変え、言語を変え、宗教やシャーマニズムを生み、それらがさまざまな部族となり、縄張りを生み、それが国家となって行ったのが見てとれる。人類を分類したのは、自然環境と食物の確保であった。分類された各国家が人類としてもう一度一つになることは無い。アメリカの元副大統領ゴアが、「不都合な真実2」を世に出した。
彼が大統領になっていたら今世界はどうなっていただろうか。ジャングルの蛇はバックに。トラは毛皮に、鰐はサイフに、胴体は胃袋の中に、人間はどん欲に生き物を商品化食物化する。生きるためなら何でも食べ尽くして行く。空を真っ黒にして稲を食べ尽くすイナゴのように。現地人にとって聖なる食べ物は人間であったのは言うまでもない。私たちは現代というジャングルにいる。